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コラム

グァテマラよもやま話 その28 アブンディオの家族


2021.12.31コラム


活動現場の中で一番よく行っていたのが、サンガブリエル村です。リーダーはナタリアです。ナタリアは、おしゃべりでも寡黙でもなく、気が強くも弱くもなく、とくにリーダーシップがあるわけではないのですが、どこか飄々とした雰囲気があり、織りの腕も良かったので、リーダーに選ばれたのでしょう。

 

ナタリアには、アブンディオという夫と、長女メリンダ・二女デルミ・長男エドソン・三女ミルビア・四女ヨセリンという5人の子どもがいました。内戦や経済的貧困の影響で、夫が村で同居していることは珍しいです。私が支援していたグループが寡婦を中心としていたこともあり、訪問先で夫がいたのはこの家だけでした。また、村の暮らしなど教えてくれるのは、もっぱらアブンディオでした。そのせいでしょう、私にとって、ここはサンガブリエル村のリーダーであるナタリアの家ではなく、「アブンディオの家」でした。

家族がみな仲良しで温厚ということもあり、私はアブンディオの家でのんびりすることが多く、身内のように付き合っていました。ナタリアの作るトルティーヤは、グァテマラで食べた中でも1、2を争う美味しさでした。とくに三女ミルビアが私になついて、よくじゃれていました。ミルビアは非常に利発で、色々なおしゃべりをしてくれました。

 

以前紹介した、ニワトリの頭入りタマーレスを出してくれたのはアブンディオでしたし、DT50で豚を蹴飛ばしながら走ったのも、アブンディオの家の近所です。私が訪ねたコーヒー農園(フィンカ)も、アブンディオ一家の出稼ぎ先でしたし、彼らが出稼ぎに行く前の晩には、アブンディオ家に泊まって食事を共にし、夜明け前に出発を見送りました。

アブンディオ一家は熱心なクリスチャンで、食事の前には必ず神様に祈りを捧げていましたし、日曜日にはサンガブリエル村の教会のミサに参加していました(全員が行くわけではありません)。クリスマスには、アブンディオの子どもたちがキリスト生誕のエピソード演じるので、私も教会に見に行きました。グァテマラの過酷な現実のなかで信仰心をもって素朴に生きる彼らの姿を見て、いかに信仰が心の拠り所になるのか、深く考えさせられました。

 

任期の後半、子どもたちが海を見たことがない、ということを知りました。では海を見せてあげよう、ということで、バスを乗り継いで7時間ほどかかる太平洋岸の村まで、一家を連れて行きました。子どもたちは、生まれて初めての海です。波というものがあり、それがとても荒いのに怖がりつつも、波打ち際の水を触って舐め、しょっぱい!と叫びます。浜辺でカニなど見つけて大はしゃぎです。ナタリアは、ホテルの部屋のトイレの水洗便器を、珍しがっていじっているうちに壊してしまいました。アブンディオにしこたま怒られてべそをかいているナタリアの様子が、気の毒でもあり、微笑ましくもありました。

 

任期の終盤、二女デルミが病気になり、手術が必要になりました。クレセンシアが病気になった後のことでしたので、デルミの手術費用を出してあげること自体に躊躇いはありませんでした。しかし、デルミの病気は一回の手術で完治するとは限らず、継続的な治療が必要とのこと。つまり、継続的に治療費が必要となります。

そこで私が考えたのは、まとまったお金をアブンディオに託すことでした。

帰国が近づいていたので、今後グァテマラで必要になるお金の額はだいたい計算できます。月額380ドルの手当は、田舎暮らしの私が使い切る額ではなかったので、手元に余裕はあります。このお金、グァテマラでは大金ですが、日本に持ち帰っても大した額ではありません。また、手当とは別に国内積立金が支給されており、帰国後に一括して受け取ることができます。つまり、手元に残ったお金をアブンディオに託しても、私は困らないわけです。

そうは言っても、手術費用を負担してあげたクレセンシアの場合とは違い、お金自体をあげる訳ですから、これまでの関係を破壊する危険性は高いと思われました。そこで、私はアブンディオに、デルミの治療費や、どうしても家族に必要な場合の費用として、これこれの金額を託したい、でもこれでお互いの関係を壊したくない、という気持ちを率直に伝えました。アブンディオは私の気持ちを理解し、感謝し、私の気持ちに背かないことを約束してくれました。

 

手術は成功し、デルミはだいぶ元気になりました。よかった、と胸をなでおろしているさなか、私が交通事故に遭い、急遽日本に帰ることになりました。アブンディオたちは、私のサラマの家に見送りに来てくれました。こんな形でお別れすることになろうとは、夢にも思いませんでしたが、グァテマラへの想いを乱暴にぶった切られたことで、嫌でも将来のことに目を向けさせられた、という意味では、私にとっては良かったのかもしれません。

帰国後も、クリスマスプレゼントを贈ったり、手紙のやり取りは続けました。一度、みんなの様子が気になり、告げずにサンガブリエル村を訪ねたこともあります。アブンディオの家ではナタリアが織物をしていたのですが、突然現れた私を見て、目を丸くして驚き、マコトが来た!と叫びました。すると、子どもたちが全員、四方八方から飛んできて私に抱きつき、再開を喜んでくれました。

私が転居を重ねたため、アブンディオは私の住所がわからなくなったはずで、手紙のやり取りは中断しています。それでも、彼らが変わらず純粋な心で素朴に生きているであろうことに、疑いの余地はありません。こうして彼らのことを書いて思い出していると、私が今抱えている心配事など全然大したことではない、と感じます。

 

続く

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