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コラム

グァテマラよもやま話 その33 帰国後のプラン


2022.01.14コラム


今回は、帰国後のプランをどう考えていたのか、お話しします。

 

協力隊参加時に会社を退職していたので、帰国後はあらたに就職先を探さなければならないことは、出発時からわかっていました。私を含めた退職参加組は、集まるたびに、帰国後どうする?という話をすることが多かったです。皆さんそれぞれに歩んできた道や進もうとしている道が違うので、いろいろな話が聞けておおいに刺激を受けました。しかし、私自身は、任期の前半は目先の協力隊活動をどうするかで悩んでいたので、年も年だし何か資格を取らないと仕事ないだろうなーぐらいにしか考えていませんでした。

 

任期の後半に差し掛かり、帰国が現実味を帯びてきました。私は活動を通じて、開発援助に関する専門知識や経験が自分にはなく、バイタリティも不足していて、実に非力である、と感じていました。そして、このままでは嫌だ、リベンジしたい、という思いも強くありました。そのため、開発援助の分野で大学院に進学し、最低限修士号を取得してから、あらためて専門家として活躍できる場所を探すのはどうか、と思うようになりました。

しかし、実際に開発援助の現場で役に立つのは、もっぱら工学系・農学系・医学系といった理系分野の知識・経験です。数学や物理が苦手で文系になった私にとって、理系の知識を今から身につけるのは現実的ではありません。開発援助の分野で、私が目指したいスペシャリストになることは、容易ではないと思われました。また、語学力にあまり自信がなく、ずっと海外で活動することへの躊躇いもありました。お金の問題もあります。

 

一方、協力隊活動の中で、援助金を申請することがありました。援助申請書を書く際、こういう点を強調すれば、こういうデータを提示すれば、援助の要件を満たすと認められやすいはず、という感覚が自分にはあり、現に申請を通すことができたのです。援助計画の立案・予算確保といった作業も、現場では重要です。

 

また、援助の現場は、必ずしも日本国外とは限りません。日本自体も、多数の外国人がいる国際社会の現場という側面があります。実際、私の地元の中野には多くの外国人が住んでいますし、近くの新大久保など外国人だらけです。それに、何も途上国に限った話ではなく、日本社会にも解決すべき多くの問題があるはずです。日本社会の問題を解決することで在留外国人が救われるのであれば、それも立派な国際貢献です。

 

さらに、例えばグァテマラで、ゼロからスペイン語を学びつつ、慣れない文化・風土に順応したうえで、援助の現場で結果を出すことは、よほど優秀・健康・幸運な人でないと難しいと感じていました。可能であれば、グァテマラ人が自らやるのが一番いい。

一方、自分は日本人で、文字の表記・敬語・曖昧な表現など、外国人にとって習得が困難な日本語を母語としています。空気を読む、暗黙のルールに従う、といった日本社会を支配する面倒なマナーも、外国人よりは理解しています。日本国内の諸問題の解決を目指すのであれば、外国人が日本語や日本社会の流儀をゼロから学んだうえで頑張るのもダメではないが、日本人がやった方が、少なくとも効率的ではあるはず。

そして、日本人として日本社会に深く関わり、日本社会でやれること、やるべきことをしたい、まずは日本で使い物になりたい、と思うに至りました。

 

そこで考えたのが、どうやら実務感覚も少しはありそうな法律分野で専門家になること、つまり、司法試験を受けて弁護士になることでした。日本で弁護士になり、普通に仕事をしたうえで、在留外国人の権利保護にも取り組む、なるべくスペイン語も使って語学力が錆びつかないようにする、ある程度の専門性が身につき、関係機関とのつながりもできた時点で、あらためて海外の現場を目指す、という感じです。

もっとも、実際にはこのような進路を選ぶことにはなりませんでした。というのは、日本の現状をもっと知りたい、という気持ちを突き詰めたとき、東京生まれ東京育ちの私は、東京以外の地方のことをほとんど知らない、それでいいのか、という思いが強くなり、まずは東京以外の場所で実務経験を積みたくなったからです。

そのあたりのお話はいずれまた。

グァテマラの話はこれでいったん終わりにしようと思います。お付き合いいただきありがとうございました。

 

 

続く

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