ベツレヘムは、エルサレムの近くにある、イエスが生まれたとされる町です。一方、ナザレ人のイエスとも言われますが、このナザレはイスラエル北部ガリラヤ湖の近くにあります。そうすると、イエスの出生地はどちらなのか、論争がありそうですが、私にはよくわかりません。ただ、クリスマスソングの「ベツレヘムに生まれ給う」という歌詞がインプットされているため、ここではイエスの出生地としてベツレヘムを紹介させていただきます。
ベツレヘムにある降誕教会は、生まれたばかりのイエスが飼い葉桶に寝かされたとされる、まさにその場所に建てられています。もっとも、現在飼い葉桶があるはずもなく、跡地とされる石の上(だったと思います)に、祭壇を始めとする教会の施設が建っています。ここにもたくさんの人が参拝しています。イエスの出生地、磔刑に処せられた地、復活した地など、キリスト教の重要な場所で、今も人々が生活しているわけです。ここの人々にとって、イエスがかつていたことは、生々しい現実なのでしょう。
次は北を目指します。冷房の効いたバスは、きれいに舗装された道を快調に走ります。途中、イェリコを通過しました。黒人霊歌の「イェリコの戦い」の町です。今でもあるんですね。道中、キブツを通り過ぎます。キブツとは、ユダヤ人がパレスチナへの入植後に建設した共同農場です。農場と言っても、学校やスポーツ施設などもあったりして、町のような機能を有しているようです。その社会主義的な理念に共感する若者が世界中から集まってきている、と聞いていたこともあり、感慨にふけります。
ヨルダンとの国境に沿って北上を続け、やがてガリラヤ湖に着きます。ガリラヤ湖と言えば、イエスの布教活動の中心地です。イエスの説教を聞きに来た群衆の空腹を5つのパンと2匹の魚で満たした、という奇跡などの舞台となりました。この場所には、「パンと魚の奇跡の教会」が建っていて、内部の床には、どことなく可愛らしい、パンと魚のモザイク画があります。
山上の垂訓教会もあります。イエスが、「こころの貧しい人たちはさいわいである、天国は彼らのものである」「右の頬を打たれれば左の頬をも向けなさい」「汝の敵を愛せよ」「人々にしてほしいとあなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ」など、キリスト教の中心的な教義を説いた「山上の垂訓」の場所とされています。また、弟子たちの乗った船が嵐に遭遇したとき、イエスが水上を歩いて近づいてきたのもガリラヤ湖ですし、イエスが嵐を一言で鎮めたのもガリラヤ湖です。
このように、ガリラヤ湖は新約聖書の数々の奇跡の舞台となっていますので、当然のことながら、世界中から巡礼者が集まってきます。ガリラヤ湖を渡る船では、ブラジルからの巡礼者の一行と同席しました。敬虔なクリスチャンなのでしょうが、そこはさすがにブラジル人。大声で歌って踊って大騒ぎです。ポーランドからの巡礼者たちが極めておとなしく参拝していたのとはえらい違いです。
エルサレム神殿の納入金の集金人とペテロが税金で揉めた際に、イエスがペテロに魚を釣らせたところ、銀貨を一枚くわえた魚が釣れて、その銀貨で税金を納めた、という話があります。この魚は聖ペテロの魚と呼ばれていて、今でもガリラヤ湖で採れる名物です。淡水魚によくある白身の魚で、素揚げにして塩とレモンでいただきます。肉はけっこう多く、淡白ながら美味で、ビールによく合いました。
ナザレにも行きました。ガリラヤ湖の郊外にあり、イエスが幼少期を過ごした地とされる町です。ナザレにはかつてマリアが住んでいて、受胎告知が行われたとされており、その地に「受胎告知教会」が建っています。受胎告知教会にも大勢の巡礼者が集まってきます。
受胎告知教会には、世界各地から贈られた聖母マリアと幼子イエスの絵が飾られていて、日本の「華の聖母子」という絵もあります。この絵に描かれているマリアは長い黒髪・着物姿、江戸期の美人画のような純和風、イエスも黒髪・おかっぱ・着物姿、五月人形のような純和風です。いつ頃の作品なのか、昔の日本のキリシタンにはこのような姿の聖母子像でないとリアリティがなかったのか、外国人に理解しやすいジャパニーズテイストを出すためにあえてこうしたのか、とにかく非常に強い衝撃を受けました。
聖書の舞台を巡っていると、古代や中世のような風情の建築物が多いこともあって、自分がいつの時代にいるのか、よくわからなくなってきます。ただ、歴史上の出来事が現在にも繋がっていること、歴史が生きていることを、こんなにも強く感じる場所は、世界でもこのカナンの地ぐらいだろうな、と思いながら、ガリラヤ湖をわたる風に吹かれていました。
続く