マスバテ島行きの船に乗り込むと、地元に帰る道中というお兄さんが話しかけてくれます。宿はどこか聞かれますが、私はそもそも、マスバテ島がどこにあってどんなところかも知りません。決めていないと答えると、だったら自分の親戚の家に泊まればいいよ、と言って、上陸後さっそく連れて行ってくれました。
自分の家ならともかく、そんな急な話受けてくれるの?という懸念は杞憂でした。当たり前のように受け容れてくれ、私も当たり前のように泊まります。
夜はテラスで涼みながら食事。ご主人は、地元の役人を定年退職した方で、英語とスペイン語が堪能です。中国が軍備を増強してフィリピンの領海に侵入してきており、それがフィリピンの脅威になっている、東南アジアでは全般的に、中国の脅威が増している、しかしフィリピンをはじめ東南アジア各国は政治的にも軍事的にも弱い、とても中国に太刀打ちできない、東南アジアの安定に向けて日本がリーダーシップを取ってもらいたい、などなど、訥々と語ってくれます。熱帯の夜に庭で風に吹かれながらするような話ではありませんが、驚きながらも興味深く聞きます。
宴席には若い親族も呼ばれています。こちらとは普通に、これタガログ語では~~と言うけど、日本語で何というのか、などと他愛のない話をします。お酒も進み座が温まったころ、ご主人が私を外出に誘います。ついて行った先は、警察署内の暗い留置場です。コンクリートの地べたに、薄汚れた格好の男性が数名、じっと座ってこちらに顔を向けています。こいつらは密猟をして捕まったんだ、悪いことするとこういう目に遭うんだよ、はっはっは。ご主人が解説してくれます。彼らも貧しい生活のなか、やむを得ず密猟をしたのだろうけど、地域社会の掟は厳しいんだろうな。何の感情もない目でこちらを眺める彼らの姿に、そんなことを思いました。
マスバテ島からは、セブ島行きの船が出ていました。セブ島はもともとレイテ島の後に行く予定でした。マスバテ島にいてもやることがないので、セブ島に渡ることにします。ご主人から、セブ島には自分の知り合いがいる、日本で働いたことがある女性だ、彼女を訪ねるたらいいよ、言われ、名前と住所のメモを渡されました。
セブ島に着き、タクシーに乗ります。マスバテ島でもらったメモの住所を運転手に伝えます。しばらく話していると、運転手が私に、君は日本人なのになぜ英語を話せるのか、と聞いてきます。真意がわからず、いや学校で習いますけど、と答えます。運転手いわく、ここに来る日本人は(あくまでも彼の意見です)ヤクザか買春客が多くて、英語を話す奴なんかほとんどいないよ、とのこと。まあ、フィリピンで製造された拳銃類が日本に組織的に流入している、といった話は、私も聞いたことがありました。そんなイメージで日本人が見られている国もあるんですね。気を付けないと。
メモに書かれた住所にあったのは、ミュージックバー。若い女性が出てきて、怪訝な(眠かっただけかも)顔で私を見ます。尋ね人ではありませんでした。私は経緯を説明しますが、今いないから待ってたら?と言われます。尋ね人は店のオーナーか関係者のようです。
応対してくれた子は住み込みで働いているとのことで、従業員用の部屋に通されます。荷物はここに置いといていいから、と言われます。さすがに躊躇しますが、彼女はきっぱりと、私を信じて、と言います。ここは彼女を信じよう。荷物(と言ってもバックパックひとつ)を預けて街を散策することにしました。
しばらくして戻ると、尋ね人が来ているよ、と従業員の子が言います。尋ね人のお姉さんに会って経緯を説明すると、ふーん、そう、で?という感じです。そりゃそうですよね。
お店には好きにくればいいよ、ということなので、従業員の子から荷物を受け取り、近所でホテルを探して投宿します。感情のない雰囲気が、それまで話したフィリピン人たちと全然違ったので、ひょっとしたら彼女、日本にあまり良い思い出がなく、日本人に対して良いイメージを持っていないのかな、と思ったりしました。
そもそもなぜこうなったかと言うと、台風接近で予定が変更になったからでした。で、その台風は去ったものの、交通への影響が長引いていました。私が予約していたセブ→マニラの国内線は、なんと1週間後にしか出ないとのこと。うーん、エジプト航空。。
そういうことで私は、あちこち散歩してはこのミュージックバーに戻り、従業員やお客さん、はたまた近所の人たちとおしゃべりしながらダラダラする、という1週間を過ごすことになったのでした。
続く