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海外の旅

海外の旅の話 その26 チャチャコマ


2023.07.24海外の旅


せっかくアルティプラノに来たからには、さらにアンデスを楽しみたい。そう思った私は、ラパスからバスでウユニ塩湖へ向かいました。

 

ウユニ塩湖は、乾季には水分が蒸発して表面が塩で覆われ、雨季には表面にうすく水が張り、鏡のように空を反射します。この雨季の風景が写真などでよく用いられますが、私が行ったのは乾季で、塩だらけの真っ白な世界でした。そこかしこにハシラサボテンが林立しています。塩の白と空の青の強いコントラスト。日本とはかけ離れた風景です。

 

さて、塩は、雪のように、太陽光を非常に強く反射します。しかも、標高4000メートル近い高地で、紫外線も強いです。その結果、日差しがまぶしすぎて、まともに目を開けていられません。サングラスはかけていますが、それでも網膜に強い刺激がきます。しかも、気のせいか、口の周りがしょっぱく感じます。長期滞在には向かない気候です。

 

白く輝く世界を後にして、さらにアンデスの奥地を目指します。チリとの国境付近の赤い湖、碧い湖、白い湖を四駆で巡ります。抜けるような青い空とカラフルな湖たち。この世のものとも思えない絶景ですが、やがて私は激しい頭痛に苛まれ始めます。高山病です。それもそのはず。標高は5000メートル近くまで上がっています。高山病による頭痛がこんなに激しいとは。私は舐めていました。

 

高山病にかかったら、基本的には標高を下げるしかないのですが、そこはアンデスの山の中。そう簡単に標高を下げることなどできません。その場合、現地では、コカ茶を飲むことになっているそうです。そこでコカ茶を飲みますが、一向に効きません。そこでガイドの助言に従い、より効果の強いチャチャコマ(意識が朦朧としていたので、ひょっとしたら名前違うかも)という薬草を市塲で購入し、煎じて飲むことにしました。チャチャコマの葉は、なんとも表現しがたい、いかにも何かの薬草という匂いがします。しかし煎じて飲もうとすると、そこまで臭くはありません。頑張って飲みましたが、私の重度の高山病には、さしものチャチャコマも効果がありません。

 

途中からは、景色の記憶はなく、頭痛と格闘したことだけは覚えています。ようやく頭痛が軽減したころ泊まった田舎の小さな村で、ぼんやり散歩していると、家路に向かうリャマの群れと出会いました。リャマたちは誰にも引率されず、自力で帰宅するところでした。私を見つけると揃って歩みを止め、行き過ぎるのを待っています。賢いものですね。

 

なんとかラパスに生還した私は、さらに高度を下げることにしました。目的地はコロイコ。ラパスから3000メートル以上も激坂を下ります。途中、垂直の崖をコの字型に掘削して道路を設置した区間が続きます。ブレーキが壊れて転落した車両が崖下に点在しているとのことでしたが、深い霧でそれすら見えません。

 

コロイコの安宿の食堂で食事をしていると、ボリビア人カップルと目が合いました。話してみると、日本が好きとのことでしたので、テラスに席を移して3名で歓談を始めました。ボリビアビールを空けまくった後、彼らが持参した赤ワインを振舞ってもらいます。コロイコはだいぶ標高が低いとは言え、山の中。日が落ちるとけっこう寒いです。そのせいか、ちっとも酔わないまま、お酒が進みます。

 

ちょうどクリスマスでした。彼らはミサを見に行こうと言うので、街の教会へ向かいました。教会に入ると、さすがにクリスマス、大変な人混みです。外と打って変わって蒸し暑い。その空気を吸ったとたん、一気に酔いが回ってきました。激しい嘔吐感。しかし、ここはクリスマスのミサの真っ最中の教会の中。部外者で異教徒の日本人が酔っぱらって吐きでもしたら、新聞沙汰になる大惨事です。必死に堪えて人混みを掻き分けて外に出て(東京の通勤通学ラッシュで人混みを移動する術を身につけていて本当に良かった)、教会前広場の向かいの飲み屋に駆け込み、トイレを借ります。そこでそのままグロッキー。

 

1時間ほど経ったでしょうか、トイレを出て教会に向かうと、すでにミサは終わっていて人々は解散していました。一緒に飲んでいたボリビア人カップルの姿もありません。とぼとぼと宿に戻り、翌朝気付くと、ボリビア人青年から、私を案じるメールが届いていました。申し訳ないことをして、非常に気まずかった私は、ちょっと具合が悪くなって、などと返事をしてお詫びをしました。

 

ラパスに戻り、最後の時間をまったりと過ごします。市塲を散策していたときに地元の女子たちに誘われてディスコ(クラブではなく)にも行きました。もともとディスコには行かない性質で、せっかくと思って行っては見たものの、やはり楽しくなく。テンションが上がらない私を相手にさせて、ボリビア女子に申し訳なかったです。

 

ライブハウスでフォルクローレやボリビア歌謡曲を堪能したりもしました。他にあまり客がおらず目立ったのか、歌手に話しかけられました。日本人だとわかると、スキヤキソングを一緒に歌おう、ということでステージに上がらされました。で、歌手がスキヤキソングを歌い始めたのですが、なんかちょっと違う。これは正しく伝えなければならない、ということで、私もかぶせて熱唱しました。日本人がかぶせて歌ってくることなどなかったのでしょう。びっくりされましたが、楽しいひと時でした。

 

民芸品を見て回りましたが、グァテマラのものと非常によく似ていて、購入意欲が湧きません。そこで、グァテマラにないという一点で、チャランゴという、アルマジロを原料にした弦楽器を購入しました。今でも使わないまま実家にあります。

 

チャチャコマの残りは、しばらく手元にありましたが、臭いので何とかしろ、という親のクレームを受けて処分しました。一部は友人に贈呈しましたが、評判は良くなかったです。

 

グァテマラとボリビアは、アメリカ先住民である現地の人の顔や姿形、自然の風景など、よく似ていました。何よりも町に流れる匂いがそっくりでした。どれぐらい似ているかと言うと、高円寺と阿佐ヶ谷ぐらい似ていました(車内でうたた寝してパッと起きたとき咄嗟に区別がつかない、という意味で)。その印象が、次の旅先を選ぶ大きな理由となったのです。

 

 

続く

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