私は村を後にして、北に向かいました。目的地はとくになく、反時計回りでガーナを一周しよう、という程度に思っていました。
とりあえず、バスターミナルのある町まで出て、そこで北に向かう車を探します。道は思った以上に良く、快適なドライブです。と思いきや、だんだん道が悪くなってきます。まあそうでしょうね。終点に着いたら、さらに北に向かう車を探し、乗り継いでいきます。
乗り合いタクシーがパンクしました。路面はそんなにひどくなかったので、タイヤの寿命か、スピードの出し過ぎか。暑い日差しに身をさらして修理を待ちます。
北に向かうということは、サハラ砂漠に近づくということです。ガーナ自体はサハラ砂漠には入っていませんが、滞在していた村あたりが熱帯雨林の木々に覆われていたのに対して、進むにつれて森は消え、草原にちらほら灌木が生えている風景に変化してきています。パンク修理を待つ間、乾いた空気を肺に感じながら、アフリカにいる実感を強めます。
私と同じように北に向かって乗り継いでいるおじさんがいました。同じルートを何時間も移動しているので、乗り継ぎの間に言葉を交わします。おじさんはキリスト教会の関係者で、知り合いを訪ねるところでした。私は、ただ北に向かっている、としか言えません。おじさんは、よくわからない、という感じでした。そりゃそうですよね。
その日最後に乗り継いだのは、大型トラックでした。木と鉄の枠で囲まれた荷台に、人間と荷物がぎっしり積み込まれます。荷台の枠の上にも人間が乗っています。上からぶら下がっている足や、ぎゅうぎゅう詰めの人間や、荷物であるニワトリたちの隙間から、かろうじて外の様子が見えます。ガタガタの道を、人間や荷物に押しつぶされながらノロノロと進んでいきます。
日は暮れて、外の様子も見えなくなりました。どこをどう走っているのか、皆目見当がつきません。ちらほらと人を降ろしながら進んでいたトラックは、やがて止まりました。どうやら終点に着いたようです。しかし、街灯もない夜の闇に包まれて、そこが町かどうかもわかりません。さてどうしましょう。
一日を共にしたおじさんに、迎えの男の子が声をかけます。おじさんは男の子に連れられて行こうとしています。ここでおじさんと別れたら、私にはなす術がありません。何食わぬ顔をして、おじさんについて行きます。迎えの男の子は、この人誰?という感じで私を見ます。しかしここでひるんではいけません。そのままおじさんたちの後を歩いて行きました。
我々は、一軒の家に着きました。そこのご主人は、私を歓迎し、泊めてくれるとのことです。さすがキリスト教関係者、見知らぬ日本人に施しを与えてくれます。部屋に案内してもらいました。大きめのベッドがある以外、殺風景な部屋でしたが、一晩過ごせるのです、ありがたい限りです。
すると、おじさんが部屋に入ってきました。お前の国では寝る前にお祈りはしないのか、と聞いてきます。とくにはしませんが、と答えると、おじさんは、自分たちの寝る前のお祈りを始めました。私も何かした方がいいかな、と思って、手を合わせて祈るふりをします。お祈りが終わると、おじさんはベッドに横になりました。つまり、私と一緒に寝る、ということです。
それがわかった瞬間、私はかなり焦りました。が、よく考えると、その部屋は本来、おじさんが一人で泊まるために準備されたはずです。横入りしたのは私です。この状況は受け容れるしかありません。それに、おじさんはキリスト教関係者です。怪しいことにはならないでしょう。
とは言いながら、おじさんはTシャツと短パン。その短パンは、足の付け根までしかなく、長い脚がすらっと伸びています。その脚は艶やかに光っていて、適度に筋肉がついており、そう思うのも何ですが、とてもきれいです。
電気が消されます。真っ暗闇です。私は、相当疲れていたはずですが、隣におじさんの気配を感じながら、目が冴えて寝付けません。おじさんは寝ているのかな。。
何時間経ったかわかりませんが、まだ暗いなか、一番鶏が鳴きました。日本と同じく、コケコッコーと。この鳴き声を聞いた私は、朝が来た、助かった、と思ったことを白状しなければなりません。
その後のことで覚えているのは、日が昇る前の薄暗がりのなか、バス乗り場に向かって歩いている風景です。おそらく、家の人に、バス乗り場までの道を聞いて、早々に辞去したのでしょう。しかし、おじさんと家の人のおかげで、アフリカのどこかも知らない場所で野宿することを回避できたのですから、二人にきちんと御礼をしなければなりませんでした。それができなかったことを、とても申し訳なく思っています。
続く