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コラム

海外の旅の話 その5 ユダヤ自治州ビロビジャン


2022.06.19コラム


北欧を堪能した私は、さらに北感を深く味わうため、冬のロシアに行くことを思い立ちました。

ロシアと言えばシベリア鉄道です。とくに「さらばシベリア鉄道」を好んで聴いていたわけではない私でも、「シベリア鉄道」という響きには大いにロマンを感じていました。そもそも鉄道好きですし、ロシアに行くのにシベリア鉄道に乗らない手はありません。

 

しかし、ソ連時代は、個人旅行者がビザを取得する際、旅程をすべて決めてホテルや国内の移動手段を予約しないと、ビザが発給されないという話でした。シベリア鉄道の予約だけでは済みません。インターネットなどない時代、予約しようとすれば、ガイドブックなどで探したホテルに国際電話をかけるか、あればFAXを流すしかありません。ロシア語は少し話せましたが、宿泊予約となると心許なく、ちゃんと予約ができるか不安です。国内の飛行機や鉄道の時刻表も入手困難だし、そもそも時刻表通り動くあてはありません。

 

さらに、当時のソ連は、ペレストロイカの結果崩壊が進み、ゴルバチョフが辞任するという混乱の極みにありました。観光ビザを個人で取得できたとしても、旅行が滞りなく進むあてもありません。

 

ということで、私としては不本意ながら、ツアーを申し込むことにしました。

 

ツアーなんてあるの?という方もいらっしゃるかもしれません。はい、当時としては相当マニアックなものでしたが、ツアーはありました。新潟空港発着、ハバロフスク往復、ハバロフスクからシベリア鉄道に乗りイルクーツクで一泊、24時間後のシベリア鉄道に乗り換えてモスクワまで向かい、数日の観光の後夜行列車でサンクトペテルブルクに向かい観光、モスクワに戻って国内線でハバロフスクに飛び、新潟空港で解散、というものです。渋いですよね。

 

新潟空港の国際線ロビーの集合場所に着くと、参加者の皆さんそれぞれに防寒着を着込んでいます。20名ほどの参加者中、社会人は3名だけ、残りは大学生です。そりゃそうでしょう。2月末から2週間、極寒のロシアに出かけようって話ですから。今にして思えば、よく社会人がいたものです。

 

私は、黒の羊革のダブルのロングコートに、ふかふかしたロシア帽、ボア付きブーツ、といういで立ちでの参加です。ロシア帽は、高校生の時に、地元の中野のサンモールという商店街の帽子屋さんでたまたま見つけて購入し、以来愛用していました。ロシアに行く以上、当然かぶっていきます。ブーツはアウトドア用で、内側のボアの保温力は高く、ソールもしっかりしています。完全に寒冷地仕様ですが、寒がりの私は普段から東京で履いていました。一方、コートは、私の冬場の必須アイテムでしたが、中綿も入っていて相当な重量があるため、肩こりの原因にもなっていました。フットワークを重くするので旅には不向きだし、混迷を極めるロシアの雰囲気にも合わず、ツアーのアイテムとしては引っ掛かりがありました。しかし、どうしてもロシアの風を当ててやりたい、という思いから、ロシアツアーに着ていくことにしたのです。

 

さて、我々ツアーを乗せた飛行機は、あっという間にハバロフスクに着きました。街中に移動するも、薄暗く、様子がよくわかりません。この日は泊まるだけで、翌日も駅に移動してすぐシベリア鉄道に乗ったので、ハバロフスクの街中の記憶はありません。あ、いや、最後に戻ってきたときの記憶はありました。その話はまた後ほど。

 

シベリア鉄道は、客車式寝台特急列車です。数10台の客車が連結されており、先頭も末尾も見えないぐらいの長い長い編成でした。やがて列車はガチャガチャと、連結部分が引っ張られる音を立てながら、ゆっくりと動き始めます。我々は4名1室のコンパートメントに振り分けられ、それぞれ上下の寝台に荷物を解き、外着を脱いで、そのまま休んだり、同室のメンバーや他室のメンバーと親睦を深めたりし始めました。

 

私たちの部屋に、知らないロシア人の男がやってきました。次の駅で降りるのだが、指定席を取っていないので、いさせて欲しい、ということです。私も他のメンバーも、まあいいんじゃない、という感じで受け入れ、しばらく談笑していました。私は、そのうち飽きてきて、疲れも感じたので、自分の席である上部寝台でうとうとし始めました。

 

しばらくして気付くと、部屋には誰もいません。おや、どこに行ったのかな、と思って外に出ると、それぞれ適当に散っていました。私は他所の部屋でしばらくおしゃべりした後、せっかくなので写真を撮ろうと思い立ち、自室にカメラを取りに戻りました。

 

しかし、カメラを置いたはずの場所をいくら探しても、カメラがありません。おかしいな、と思って探しているうちに、いや待てよ、さっきの風景と何かが決定的に違う気がする、何だろう・・・

 

コートがない!!

 

私は大声で皆に異変を告げます。皆もすぐさま反応します。あ、俺のカメラもない!さっきのロシア人がどこにもいない!奴に違いない!

 

探せ!!

 

我々は一目散に後部車両に向けて走り出します。連結部分は幌の隙間から風雪が吹き込み、凍結しています。しかも、日本のようにフラットになっておらず、太鼓橋のように中央が盛り上がっています。我々はこの連結部分をハードルのように飛び越え飛び越え、廊下でくつろぐロシア人をかき分けかき分け、最後部まで辿り着きました。しかし、奴はいません。しまった、先頭車両を目指せ、ということで、来た道を猛ダッシュで駆け戻ります。しかし、無情にも列車は速度を落とし始めます。

 

今でいうロシア連邦ユダヤ自治州、ハバロフスク地方と中国黒竜江省に挟まれた小さな行政区域にある、ビロビジャンという小さな駅に、我々を乗せた列車は停まりました。ハバロフスクを出て約2時間後に停まった最初の駅です。シベリアの大地の真っただ中、駅舎もありません。あるもは枝と幹だけの姿の林だけ。人家も見当たらないような場所ですが、結構な数のロシア人たちが下りて行きます。私は、停車時間が少ないから、と言う車掌の制止を振り切って、凍てつくシベリアの大地に飛び降りました。その瞬間、身を切るような寒さ。それもそのはず、私は肌着にセーター1枚、下はスエット。一瞬にして正気を取り戻し、これは死ぬかも、と思いましたが、真冬のシベリアにコートなしでは、どのみちアウトです。私と一緒に飛び降りた添乗員のお兄さんを見ると、ワイシャツ、スラックス、そして足元はスリッパ。うん、行くしかない、とアイコンタクトを取り、二人で林に溶け込む人波を追いかけます。しかし、奴は最初から逃げるつもりですから、おそらく先頭を切って下車したのでしょう。追いつけるはずもありません。そもそも、人波の一人ひとりを見ても、みな同じような恰好をしていて、どれが奴だか見分けもつきません。

 

列車が警笛を鳴らします。この着の身着のままの状態でここに放置されたら、待っているのは迅速かつ確実な死です。私たちは追跡を諦め、列車に駆け戻ります。息を吸う毎に空気が気管支に突き刺さり、状況の危険さを伝えます。車掌に腕を掴まれ、引っ張り上げられるようにして車内に乗り込みます。すぐに列車は動き出します。いや、すでに動き出していたかもしれません。私は、大切なものを奪われた悔しさ、奪われて一層感じるコートへの愛着と同時に、命を失わずに済んだことへの安堵を覚え、頭の中をぐるぐるさせながら、みんなの慰めの言葉を、聞くともなく聞いていました。

 

 

続く

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