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コラム

海外の旅の話 その6 シベリア鉄道の車内にて


2022.06.21コラム


とりあえず生き延びた私ですが、旅は始まってまだ24時間も経っていません。気を取り直して旅を進めるしかありません。コートについては、なんと、同室の人が予備の革ジャンを持ってきていたため、それを借りて過ごすことができました。用意のいい人っているんですね。

 

しかも、シベリア鉄道の車内は、スチームによる暖房がばっちり効いていて、昼間は25℃ぐらいあります。Tシャツ一枚で十分なぐらいです。スチームばり効きなのは、暖房を電気で細やかに制御したとすると、停電した場合即死ぬからだということでした。しかも、シベリア鉄道は特急です。シベリアには、特急が停まるような大きな町はほとんどありません。我々は、一日3~4回停まる駅で数分間外に出る以外、外着を着る機会はありません。そんなこんなで、シベリア鉄道に乗っているうちは、コートがなくても困ることはなく、私の心の傷は急速に癒されていきました。

 

冬のシベリアの風景は、曇った空、平らな大地、うっすら積もった煤けた雪、少しの林、それぐらいです。何日も変わりません。すぐに飽きて、ヒマになりました。たまに停まる駅の周辺にもとくに何もないし、物も売っていない駅もあります。しかし、何しろヒマなので、とりあえず外に出てみます。冬のシベリアの外気温は、昼間でもマイナス20℃程度です。内外の気温差は50℃近くあります。ほんの数分でも、このような極端な気温差が与える身体へのダメージは大きく、私を含めてみんな体調を崩していきました。しかし、何せヒマなので、体調不良を押してでも、外出する人は多かったです。

 

夜はマイナス30℃近くまで下がります。暖房の効きも若干悪くなります。窓ガラスはキンキンに冷えてきて、とくに縁のあたりは非常に冷たくなり、結露ができます。カーテンは窓ガラスに触れる部分が凍り付き、翌朝溶けてこないと開けることができません。一方、カーテンを閉めないのは危険で、夜中に髪の毛が窓ガラスに触れると、凍り付きます。翌朝目覚めたとき、リリパット王国で小人たちに毛髪を地面に固定されたガリバーのような感じです。

 

シベリアの大地は、ツンドラ、つまり永久凍土地帯が多いのですが、夏場は多少溶け、冬に再び凍ります。こういった大地の膨張・収縮のせいか、もともとの敷設工事のクオリティのせいか、線路はガタガタしていて、かなり揺れます。下手すると脱線します。しかし、沿線には町が少なく、町以外はほとんど人が住んでいません。脱線したところで、救援部隊など容易には来てくれません。では脱線したらどうするか。そのまま突っ走ることになります。大丈夫、シベリア鉄道の機関車は、そういうことを見越してか、非常にパワーがあります。全編成脱線したらどうだかわかりませんが、一両ぐらい脱線したところで、どうってことない。幸い、急峻な山岳地帯や、急カーブの連続を通るわけではないので、引っ張れば何とかなります。すべて聞いた話なので、真偽のほどはわかりませんが。

 

このように激しく揺れるシベリア鉄道で、寝る、ということは、そう簡単ではありません。もちろん、転落防止用の措置はありますが、日本の鉄道のような柵はなく、天井から寝台に張られた帯が2本あるだけ、しかも帯の間隔は広めです。でっぷり太ったロシア人ならともかく、華奢な日本人、とくに小柄な女性に対しては、転落防止効果はほとんど期待できません。実際、一名、夜間に転落したメンバーが出ました。同室のメンバーの証言によると、ものすごい落下音がしたため、とても心配して声をかけたところ、本人はとくに痛がる風でもなく寝台に上がり、そのまま寝直したそうです。私は幸い、上段から転落することはありませんでした。日々緊張感をもって眠りについていたからでしょうか。

 

シベリア鉄道での食事は、食堂車でとります。メニューはシェフの指定一択。

シベリア鉄道は、モスクワ→ウラジオストク→モスクワまでが一編成で、食材は最初にモスクワで積まれたもので最後まで賄うとのことでした。冬のシベリアで食料を調達することは、当時のロシアでは無理だったのでしょう。そして、モスクワで積まれた食料は、ちょいちょい横流しされ、最後にモスクワに辿り着く頃には、当初の予定よりだいぶ減っていきます。ということで、モスクワに向かう列車のメニューは、非常に心許なく、スープなどは日に日に味が薄く、具が少なくなっていきます。

 

しかし、我々に選択の余地はありません。遠くの食堂車まで、凍結した連結部分を飛び越えながら行き、激しい揺れの中で両肘をついてスープ皿を持ち上げて、薄いスープをこぼさないように啜り、貧弱な料理を食べるのも、その日の一大イベントでした。しかも、我々の列車の男性シェフは身のこなしが非常に女性的で、給仕の際に小指を立てがち、流し目も多用します。厳冬のなか移動中の列車という閉鎖空間、居室の鍵を入手可能な立場、という事情もあり、かなりスリリングでしたが、何事もなく旅を終えることができました。

 

そういうこともあり、途中の駅で買い食いしたくなるのですが、我々が調達できたのは、もっぱらピロシキ、あとはビールやウォッカです。ピロシキは冷え冷えですが、それなりに美味しかったです。しかしビールは温いし酸っぱいし、美味しいものではありませんでした。ウォッカは、まぁあんなものでしょう。

 

そういったシベリアのもろもろを経験した結果、我々ツアーメンバーはひとつの結論にたどり着きました。それは、「大瀧詠一はシベリア鉄道に乗ったことがないはず」というものです。実際に経験したのであれば、「さらばシベリア鉄道」があのようなセンチメンタルでロマンチックな曲になるはずがない、というのが理由です。

 

今回この話を書くにあたり調べたところ、「さらばシベリア鉄道」の作詞は松本隆でした。議論するのであれば、松本隆のシベリア鉄道乗車経験だったのかもしれません。でも、作詞家や作曲家にとって、その曲で歌われる世界の実体験の有無など、意味はないのでしょうね。

 

 

続く

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