当時の青年海外協力隊では、いったん任国に派遣されると、任期満了までの間、基本的には日本に帰国できませんでした。家族や友人が任国まで遊びに来てくれない限り、現地在住者以外の日本人の顔を見ることはできません。そうなると、たまに人恋しくなります。
しかし、当時のグァテマラは、インターネットも携帯電話もほとんど普及していなかったので、今みたいに手軽に、日本の家族や友人と国境を越えたやり取りはできません。
それで、隊員が日本の誰かと話をしようとする場合、町の電話局があれば電話局、町に電話局がなければ民間の電話屋さんに行って、国際電話をかけなければなりません。電話局では、交換手に番号と相手の氏名を伝えて電話をかけてもらい、応答があれば繋いでもらいます。
ちなみに、国際電話がかけられる公衆電話もあるとのことでしたが、多くの公衆電話は故障していて使えませんし、そんなに大量の小銭は持っていませんので、公衆電話という選択肢はなかったです。
赴任当初は国際電話の料金が非常に高く、たしか1分で10ドルぐらいかかりました。当時の隊員の手当は月380ドルでしたので、お金がありません。当然、国際電話は短時間限定です。それが途中で、1分1ドルぐらいに値下げされました。国営の電話会社が民間に経営譲渡されたことを受けて、国際通話料金が下がった(逆に国内通話料金は上がった)という話でした。非常に助かったのですが、だったら最初から安くしといてくださいよね。
日本の通話先が留守番電話設定にしていると、少々面倒です。グァテマラの電話交換手は日本語がわかりませんので、留守電メッセージが流れても、相手が応答したと思います。それで、こちらに繋いで通話を開始します。つまり、料金が発生します。
こちらは、電話が繋がったと思って話しかけると、留守電でがっかりしますし、これが留守電であり、お願いした相手には繋がっていないよ、だから料金は支払えないよ、ということを交換手に了解してもらわないといけません。最初のころは難渋しましたが、そのうちに交換手も慣れてきて、すぐに了解してくれるようになりました。
無事繋がって通話を始めても、こちらの声が相手に届くまで、相手の声がこちらに届くまで、少々時間がかかります。なので、会話は、お互いに相手の声がきちんと聞こえるまで待って、それから自分がしゃべらないといけません。ただ、相手がしゃべり終わるタイミングを間違えると、会話がかぶってしまいます。それで、無線通話みたいに、こちらがしゃべり終わる際に、どうぞ、みたいなことを言ってタイミングを合わせていました。
電話屋さんで国際電話をかけると、手数料が上乗せされた料金を支払わなければいけません。ただでさえ国際通話料金は高いうえ、隊員は貧乏です。そこで、多くの隊員は、グァテマラシティの隊員宿泊所に設置されている電話機を利用して、1分いくらとみんなで決めた料金を支払って、国際電話をかけていました。
電話屋さんよりだいぶ安いので、おのずと通話が長時間になります。何かの集まりで宿泊する隊員が多いときには、電話待ちの渋滞が発生します。それで、一人1回何分以内、という制限を設けていました。しかし、込み入った話をしているうちについつい長引いて、すごい料金を支払わなければならなくなった隊員もいたように記憶しています。
日本とグァテマラには15時間の時差があります。グァテマラで仕事のあとに電話するとなると午後6時以降ですが、そのとき日本は翌日午前9時とかです。日本の通話相手が応答しやすい夜9時とかに電話しようとすると、グァテマラが午前6時とかになります。なので、相手を捕まえるのは簡単ではありません。メール自体ないので、メールで事前に電話する時間を決めることはできません。
このように、日本に電話1本かけるのも一苦労なので、電話が繋がって通話できたとき、今では考えられないぐらい嬉しかったです。若い日本人のほぼ全員が携帯電話を持っていて、メールでもLINEでも簡単にやり取りができる今、電話に出ない、メールにレスがない、LINEに既読がつかない、などと不満に思う人もいます。簡単に人とコミュニケーションが取れるようになって、逆に人と簡単に繋がれることの有難さが、実感しにくくなっているのかな。
続く