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グァテマラよもやま話

グァテマラよもやま話 その29 シルビア


2022.01.04グァテマラよもやま話


サンガブリエル村は、リーダーのナタリアがうまくまとめ役になってくれていて、織り手の女性たちのチームワークが良く、腕も良かったです。そのため、業者などからの発注も多く、結果として私はよくサンガブリエル村に行っていました。そのサンガブリエル村で、一番腕の良い織り手がシルビアでした。

 

シルビアは、アブンディオの妹で、アブンディオの実家に住んでいました。同じ村の中で近所なので、私はどちらの家にも入り浸っていました。シルビアは、当時20代前半で、まだ独身でした。グァテマラでは女性は15歳から18歳ぐらいで結婚することが多いので、シルビアの年齢で未婚で実家にいる女性は珍しかったです。家事や育児に割かれる時間が比較的少ないからなのか、持って生まれた才能のせいなのか、シルビアは非常に織りが丁寧で、素人の私から見ても、その差は一目瞭然でした。同じ村の他の女性から、結婚式用のウィピルの制作を頼まれることもあったぐらいです。

 

グァテマラでは、女性は18歳から20歳あたりの年齢を超えると、段々丸みを帯びてくる人が多いのですが、シルビアもご多分に漏れずだいぶ丸みを帯びた体格でした。性格は非常に優しくおっとりしていて、いつもにこにこしています。話し方もゆっくりで、外国人の私にはとても聞き取りやすいものでした。私は、シルビアが織っているのを隣で眺めながら、シルビアが淹れてくれる甘々コーヒーを啜りつつ、時には織りのデザインの話を、時にはどうでもいい話をしながら過ごす時間が好きでした。シルビアは周囲に気を遣う方で、あまり自分の意見や考えをはっきり言わないタイプでしたし、とくに村では政治などのセンシティブな話はタブーで、プライベートな話も難しい面があったため、あまり踏み込んだ話はできませんでしたが、それでも十分楽しかったです。時にはハンモックで昼寝もさせてもらっていました。そよ風を受けながらハンモックでのんびり過ごすのは、本当に心地よい時間でした。

 

そのうち、特に仕事としては必要なかったのですが、せっかくなので自分も織ってみたい、と思うようになりました。どうせなら上手な人に習いたい、それならシルビアしかいない、ということで、シルビアに頼んだところ、快く引き受けてくれました。私は初心者ですので、あまり力が必要でなく、時間もかからないよう、幅10センチ程度の小さい布を織ることにしました。シルビアは、そのように糸をセッティングしてくれました。一人が織りをするということは、織り終わるまでの間、家の柱一本とその周辺の土間のスペースを占有するということを意味します。はっきり言って邪魔なはずですが、シルビアたちはむしろ面白がって色々教えてくれました。私が完成できたのは1枚だけでしたが、良い思い出です。

 

シルビアはトルティーヤ作りも上手でした。トルティーヤは、スーパーなどで売っている量産品とお手製で全然味が違うのですが、お手製のものでも、材料のトウモロコシ粉と石灰と水の配合、捏ね具合、厚さ、焼き加減など、作り手によってだいぶ違います。シルビアの作るトルティーヤは、全てにおいて私の好みにぴったり合いました。村の食事はトルティーヤと塩だけ、ということも多いことは、以前お伝えしたかと思いますが、トルティーヤが美味しければ、それだけでも十分に感じました。

 

一度、シルビアに、何でもいいからお話しして、と無茶振りしたところ、おとぎ話を披露してくれました。ブランカ・ニエベというお話です。何だろう、と思って聞いていると、なんと、白雪姫ではありませんか。ブランカ=白、ニエベ=雪。そのまんまです。ストーリーは、私が知っているものとおおよそ同じでした。なので聞き取れたわけですが、雪なんて見たことないはずのグァテマラのマヤの村の娘が、ディズニーの白雪姫のストーリーを諳んじていることに、何よりも驚きました。

 

シルビアにはクリスティーナという妹がいました。比較的スレンダーな体形で、サバサバした物言いをしますが、何かと面白いことを言おうとする陽気な面もあり、シルビアとは好対照でした。私の母と弟がサンガブリエル村を訪問した際、シルビアの家に泊めてもらったのですが、クリスティーナは日本の一眼レフのカメラに興味を持ち、使い方を熱心に聞いて何枚か写真を撮っていました。クリスティーナは20歳ぐらいで結婚しましたが、嫁ぎ先が近所のようで、結婚後も赤ちゃんを連れてちょくちょくシルビアの家に来ていました。クリスティーナはおそらく織りが得意ではなく、必要な場合はシルビアに織ってもらっていたようで、織っている姿を見た記憶がありません。

 

シルビアのご両親もご健在で、同居していましたが、名前がどうにも思い出せません。おそらく、普段パパ、ママ、と呼んでいて、名前を聞く機会がほとんどなかったのでしょう。二人とも穏やかで優しい人で、まさにマヤの村人、という感じでした。お父さんは農作業で家を留守にしていることが多く、お母さんは家で家事をしていることが多かったです。

 

任期の終わり頃、私はシルビアに、売り物用に作ったものではなく、シルビア自身のために作って着ていたウィピルを譲ってほしい、と頼みました。これは、相当無理なお願いです。一着のウィピルを織り上げるのに、最低でも半年はかかります。他にもやることはいっぱいあります。一生のうちで何着も織れるものではありません。当然、気持ちを込めて織ったもので、思い入れがあります。それでもシルビアは快諾してくれましたし、逆に着古したものでいいの、とまで言われました。私も何かそれに見合うお礼がしたいと思っていたのですが、帰国間際にシルビアから受けたリクエストは、私の飼い犬であるチャポを引き取りたい、というものでした。私は、シルビアなら大事にしてくれるはずだし、ぜひ引き取ってもらいたいと思っていたので、二つ返事でOKしました。

 

帰国後に一度サンガブリエル村を訪ねた際、もちろんシルビアの家も訪ねました。チャポの反応はいまひとつ薄かったですが、シルビアは変わらぬ穏やかな笑顔で出迎えてくれました。それから20年近く経ちましたが、変わらずにいて欲しいです。

 

続く

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