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グァテマラよもやま話

グァテマラよもやま話 その32 再手術


2022.01.12グァテマラよもやま話


日本に着いてから、あらためて大学病院で検査を受けました。グァテマラでの手術がうまくいっているかの確認です。私としては、うまくいっているわけない、早く再手術を受けたい、と思っていたのですが、案に相違して、画像所見はとくに問題ないとのこと。そんなこともあるのかね、と訝しがりつつも、回復を待つことにしました。

 

と言っても、定期的に患部の状態を確認して消毒する以外、とくに治療はありません。協力隊参加時に会社を辞めていたので、仕事もありません。暇な私は、近くの友人に会ったりするだけでなく、遠くの親戚やすでに帰国していた地方の隊員を訪ねたりしました。岐阜の同期を訪ねた際には、ドライブに連れて行ってもらったり、岐阜城を案内されたりしました。しかしこの岐阜城に行くには、ロープウェイで山頂駅まで行った後、さらに遊歩道を登らないといけません。そんなこととは夢にも思わなかった私は、ロープウェイを降りたあと、松葉杖を突きつつ必死に段差を登りました。道行く人たちは、驚いて道を譲ってくれます。しかし同期は平然と先を歩いていきます。私がこけたりすることなど、微塵も考えなかったのでしょう。このあたりがとっても協力隊的です。岐阜に行く前に松葉杖の操り方を習熟しておいて、本当に良かったです。

 

しばらくして、骨折部位を固定するために埋め込まれていた金属を抜きました。この抜釘、どうやるのかなと思って見ていると、皮膚の表面に露出している金属の端をペンチでつまんで、そのまま力任せに引っこ抜く、という、極めてシンプルなものでした。あまりにもシンプルで、あっという間に終わったのですが、抜いた後には穴がぽっかり空いていました。えーこんなのでいいんだーとおおいに驚いたのですが、穴はしばらくすると徐々に塞がっていきました。人体には不思議な力があるものです。

 

抜釘後は、骨の接合を促すため、実家の近くのプールの中を歩いたりしていました。しかし、何か月経っても骨はくっついてくれませんでした。自分としても、血や神経が通う感じがなく、このまま待っても進展がなさそうでした。抜釘後は靴を履いて外出していましたが、冬になり、血の気の感じられない右足は冷えていくばかりです。そのうちに松葉杖も使わなくなりましたが、何しろ右足の骨はくっついていません。怖いのでゆっくり歩いていると、冬の風の寒さが身に沁みます。

松葉杖を突いている間、電車に乗っても一度も席を譲られたことはなかったです。目の前で発車したバスが、すぐ先の信号で停車したので、乗せてもらおうと近づいても、きつい口調で運転手に断られたこともあります。東京って何なんだろうな、と思ったものです。

そのうち、医師からは、こういう状態で生活している人もいるから、などと言われるようになりました。いやいや、それでは困ります、早く何とかしてください、と頼み込み、再手術の運びとなりました。骨がくっつかない原因として、折れた部位の骨を削り過ぎて、骨が成長する部分がなくなっていることが考えられたため、再手術の内容としては、別の健康な部位の骨を削って移植する方法が採用されました。

 

この頃私が友人たちを訪ねるなどしていたのには、別の理由もありました。

 

骨折していてやることがないなら、家で本でも読んで安静にしているのが本来かと思います。しかし、事故で頭を打ったせいか、手術時に強い麻酔を打ったせいか、よくわからないのですが、私は帰国後、文字は読めるが意味が把握できない、という症状が出ていました。それも、特別難しい文章ではなく、簡単な新聞の見出し程度でも、意味が入ってこない状態でした。昨日自分でしゃべった内容を翌日思い出せない、ということもたまにありました。

 

私は事故前、帰国したら司法試験の勉強を始めようと思っていました。しかし、これでは司法試験どころか、社会復帰もできません。それでも、死なずに済んで良かった、という思いが強かったので、そこまで精神的に追い詰められてはいなかったのですが、心穏やかではありませんでした。そういった気持ちを紛らわすために、あちこち出歩いていたわけです。松葉杖で家に遊びに来られたり、飲みに誘いだされたりした友人たち、扱いに困ったことと思います。今更ですが、お世話になりました。嫌な顔一つせず構ってくれて、ありがとうございました。

 

とは言え、いつでも友人を巻き込むわけにもいきません。一人で気晴らしに出かけることも多かったです。江の島に海を眺めに行ったとき、参道の喫茶店に立ち寄ると、あなたさっき下で海を眺めていた人よね、気になって写真撮ったのよ、と店員さんに声をかけられました。写真を見ると、たしかに私です。長いこと岩に座ってぼーっと海を眺めていたので、不穏なことを考えているのでは、と心配されたのかもしれません。

 

さて、医師の日程調整の結果、再手術が決まりました。これでまた当分は出歩けなくなるな、どうせなら今のうちに遠くまで行ってやれ、と思った私は、波照間島を訪ねました。と言っても、とくにやることはありません。このあとどうなるのかな、などと思って夕暮れの浜辺でぼんやり海を眺めていると、若い男女に話しかけられました。なんだか目立っていて、何者かと思ったそうです。グァテマラで複雑骨折して再手術が決まったので今のうちにと思って東京から遠出してきた、という説明をしたところ、好奇心を満たしてくれたようです。若い二人の旅の思い出の一つになったのであれば、私としても良かったです。

 

帰京し、入院の準備として、一応暇つぶしのため本を何冊か買いました。本を選んでいる時は、相変わらず内容が頭に入って来ないので、タイトルやジャンルで適当に選んで買いました。しかし、家に帰ってパラパラとページをめくってみると、驚いたことに、意味がわかるではないですか!やった、これで社会復帰できる!私は喜び勇んで、買った本全部を入院前に読み切り、新たに揃えた本を手に、ウキウキしながら入院しました。

 

再手術は、グァテマラでの手術とは全然違いました。まず、食事が普通の病院食です。麻酔は、手術台に寝かさせた直後まで意識があり、手術後に手術室を出るときには意識が戻っていたぐらい、ギリギリの量で管理されていました。出血もしていたかどうか記憶がないぐらいです。手術後しばらくすると、血も神経も通い始めている実感がありました。社会復帰の見通しが立ったのが嬉しく、再びの松葉杖生活も何ら苦になりませんでした。

 

 

続く

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