私が初めて海外旅行に出かけたのは、大学2年生の夏でした。
今ではすっかり海外に行くのに慣れて、成田空港に着いても東京駅に来たぐらいにしか感じなくなっているのですが、最初は全然勝手がわかりません。行先を決めるところから結構悩みました。
私、もともと北方志向が強い人間でして、大学1年生の夏には北海道を一人で旅して周りました。その流れで、北欧への憧れを感じるようになりました。北欧は治安もすこぶる良く、英語も通じやすいと聞いていましたし、ビザも不要で、旅行するのに制限もありませんでした。最初だしとりあえず安全な所に行こうかな、ということで、デンマーク・スウェーデン・ノルウェー・フィンランドの4か国を巡ることにしました。日程はちょうど1か月。航空会社は大韓航空でソウル(当時は金浦空港)乗り継ぎ、ロンドンイン、パリアウト、という行程でした。往復+初日のホテルで30万円程度かかったと思います。それと比べると、今は安く海外に行けるようになりましたね。
ソウル乗り継ぎ後の飛行機の窓からシベリアの大地を見下ろしながら、おーシベリア上空を飛んでいるぞ、あれがエニセイ河かな、これがオビ河かな、いつまで経ってもシベリア上空だな、やっぱりシベリアは広いな、などとワクワクしていました。機内食が出れば大喜びで食べ、写真も撮りましたし、ワインやビールもいちいちお代わりしました。そうしてはしゃいでいるうちに、飛行機はロンドンに着きました。
しかし、そこではたと困りました。空港から先、どうやってロンドンの街中まで行けばいいんだろう?
北欧に行くことで頭がいっぱいだった私は、最初の宿泊先であるロンドンは素通りするつもりで、何も調べていなかったのです。着陸した空港が有名なヒースロー空港ではなくガトウィック空港であることも、チケットには書いてあったものの、着いてからようやく、あ、ヒースローじゃないんだ、と気付いたぐらいです。とりあえず100ポンド分両替して、ホテルへの行き方もわからないし、初めての外国で気持ちが高揚していたこともあり、タクシーに乗り込みました。普段東京では高いから絶対にタクシーになんか乗らないのに。
行先のホテルの住所が書かれたメモを運転手に見せると、怪訝な顔をして、たしかにここなのか、と聞いてきます。浮足立っていた私は、自分の英語が聞き取れないのかな、と思ったぐらいで、運転手がどういう意味で聞いているのかわかりませんでした。空港を出ると、ぶっ飛ばすタクシーの車窓から見えるのは延々と続く荒野。さすがに不安になり、本当にホテルに向かっているのか確認すると、もちろんそうだよ、という返事。今にして思えば、成田空港から都内に行くのにタクシーを拾うようなものです。しかも二十歳そこそこの若造が。怪訝な顔をされる訳です。お金足りるかな、とドキドキする私を乗せて、タクシーはガンガン飛ばします。1時間ほど経つと、ロンドンの市街地に入り、目的地のホテルの前で止まりました。料金はほぼ100ポンド、当時のレートで1万5000円ほどでしょうか、ギリギリ足りました。しかし食事代分は残っていません。
今の若い人は想像できないかもしれませんが、当時は海外でATMで現金を引き出すことは困難でした。クレジットカードも持っていなかった私は、手持ちの現金とトラベラーズチェックで全日程を凌がなければなりません。そんななか、初日の100ポンドもの出費は非常に痛いわけです。私は己の無計画を呪いつつ、記念すべき海外初日の夜に、ホテルに籠り食事抜きで翌朝を迎えることになりました。なので、ロンドン名物のフィッシュアンドチップスの味すら知りません。
翌朝は、ドーバー海峡を渡り、ベルギー・ドイツ経由の夜行列車でデンマークのコペンハーゲンに入るルートでした。しかし、私が購入していたユーレイルパス、ヨーロッパ中の列車に乗れる切符なのですが、イギリスでは通用しません(こういう弊害があるからEUが出来たのかもしれません)。さらに、ドーバーに行く列車の発車駅までの行き方がわかりません。ロンドン地下鉄の駅員に聞きまくるも、ロンドン訛りの英語が全然聞き取れません。途方に暮れていると、ロンドン在住の日本人のおじさんが声をかけてくれました。地獄に仏とばかりに事情を説明すると、ロンドン訛りは聞き取れないよね、と慰めてくれつつ、キングスクロス駅に向かうよう教えてくれました。今調べると、キングスクロス駅は、ハリーポッターのホグワーツ魔法魔術学校行きの特急の発車駅(9と3/4番線)のようですが、その重厚な建物の様子など一切覚えていません。何とか切符を確保して時刻表を見ると、今まさにドーバー方面行きの列車が発車しようとしているではないですか。猛ダッシュをかけて、辛うじて乗り込みました。なお、朝食も抜きです。
ドーバーに着くと、フランスのカレー行きのホバークラフトに乗り換えです。ホバークラフトをご存じでしょうか。船底のゴム製のスカート部分に空気を注入して船体を浮き上がらせ、水上を滑るように走る乗り物です。子どものころからの憧れでした。空気注入前の船底がぺしゃんこの状態で陸上で乗り込み、ワクワクしながら待ちます。やがて空気が注入されて船体が浮き上がり、埠頭の斜面を下って海に突入して出発です。なるほど速い。しかし、非常にやかましい。外にも出られません。あーこんなもんなんだーと思っているうちに、カレーに到着。夜行列車に乗り換えてコペンハーゲンを目指します。ゴトゴトいいながら走る列車に、慣れ親しんだ安心感を抱きつつ、二日目の夜は過ぎました。
翌朝、目的地のコペンハーゲンに到着です。ほっとしたのもあり、お腹が空いてきます。デンマーククローナに両替し、真っ先に目に入った駅の売店でハンバーガーを買います。いたって普通のハンバーガーですが、なんと1個500円もするではありませんか。東京の物価が世界一高いと思っていた無知な私は、東京以下の物価を前提にした予算組みをして、現金やトラベラーズチェックを用意していたのです。しかも、旅の日程は1ヵ月もあります。前日のタクシーの件も相まって、非常に心細くなりました。しかも、高い代償を支払って購入したハンバーガーは、冷めていて美味しくありません。半分以下の値段で買えるマクドナルドのチーズバーガーの方がはるかに美味しい。高緯度のせいか、コペンハーゲン中央駅に差す朝の日差しは、夏なのにとても弱く寒々としています。そういったすべてに切なさが募ります。
こうして、私の初めての海外旅行は、バタバタと始まったのでした。
続く