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海外の旅

海外の旅の話 その18 ソルソゴンの女の子たち


2023.01.18海外の旅


マニラを満喫した後、レイテ島を目指しました。レイテ島は、太平洋戦争の激戦地で、大岡昇平の「レイテ戦記」の舞台にもなっています。フィリピンに行く以上、太平洋戦争の戦跡を無視するわけにはいきません。レイテ島までは、ルソン島最南端まで行き、船でサマル島に渡り、バスで移動する、というルートになります。それで、鉄道でルソン島南部の町レガスピに向かいました。

 

レガスピは遠く、のんびり走る列車に揺られる時間はかなり長いです。日本人が珍しいこともあり、乗務員のみなさんに親しく接してもらいました。とくに、車掌のおじさんは、護身用の拳銃を持たせてくれたり、自宅を訪ねるようにと住所を書いて渡してくれたりしました。

 

レガスピでバスに乗り換え、ルソン島最南端のソルソゴン州に差し掛かると、状況が変わりました。台風の接近により、サマル島行きの船が出ないというのです。さて、どうしよう。

 

たまたま入った売店で、女の子が番をしていました。聞くと、地元の高校生とのこと。上手に英語を操ります。困っていた私は、天の助けとばかりに、この先どうしたら良いか彼女に尋ねました。彼女は頭の回転も速く、いろいろ気を遣って、他の住民たちにあれこれ聞いて回ってくれます。そのおかげで、別の町からのマスバテ島行きの船なら出る、という情報を得ることができました。

 

私は潔くレイテ島行きを諦め、どこかもわからないマスバテ島に行くため、どこかもわからない港町に向かうことにしました。しかし、そんなことより、みんなに助けてもらえた満足感、さらにそれ以上に、彼女たちが持つ、ラテンの陽気さとアジアの慎み深さを絶妙に融合させた感性、独自のホスピタリティを知った喜びの方が、はるかに大きかったです。

 

翌日の乗船を控えて、どこかの田舎町に泊まります。どうやって見つけたのか、小さな宿に入ります。庭には意外にもきれいなプールがあり、若いフィリピン人女性たちがキャッキャと水遊びをしています。地元の学校の先生たちで、受け持ちは英語、社会、数学とのこと。事情を話すと、だったら明日船に乗る前にウチらの学校に遊びにおいでよ、と誘ってくれます。これは面白いことになりました。停電で暗い部屋で、強風でトタン屋根がバタバタする音を聞きながら、浅い眠りにつきました。

 

翌朝、教えられた学校に向かいます。昨日の女の子たちがいます。ピシッとしたシャツとパンツで装い、たしかに教師であることがわかります。生徒たちも制服姿で、はつらつとしています。突然の日本人の来訪に、生徒たちのテンションは上がります。分校ということで、校舎はこじんまりとしていて、生徒数も少ないようです。社会科の先生に促されて中学生の教室に入ります。教壇に上がり、とりあえず自己紹介を、ということで、二言三言しゃべったあと、何か聞きたいことありますか、と逆質問します。アニメとか漫画とか聞かれるかな、と予想しつつ。ところが。

 

最初の質問は、「日本の政治体制は何ですか」

私は度肝を抜かれます。隣で先生が、「constitutional monarchy」ですよね、と助け船を出してくれます。コンスティテューショナルモナキーってたしか立憲君主制だよな、でも天皇制って立憲君主制って言っちゃっていいのかな、と逡巡しつつ、弱弱しく、「Ahh, constitutional monarchy..」と呟きます。

 

次の質問は、「天皇の役割は何ですか」

さらに度肝を抜かれます。先生が私の顔色を窺いつつ、「national symbol」ですよね、と助け船を出してくれます。そうそう、それそれ。「national symbol」と答えます。

 

次の質問は、「日本にはどんな政党がありますか」

混乱の極みです。自由民主党が「liberal democratic party」なのは知ってる、共産党は「communist party」だろうね、でも公明党って何?さらに当時、新進党とか太陽の党とかフロムファイブとか、よくわからない新設政党があったんです。こんなのどうやって訳すの?直訳しても意味不明だし。困った挙句、「いろいろあるけど、一番強いのは自由民主党」とだけ答えました。

 

次の質問は、「日本の最近の経済情勢について教えてください」

もはや考える気力を失った私は、もうやめようよ、と目で先生に訴えつつ、ホント適当なことを答えました。

 

その後もいくつかやり取りは続きましたが、最後に、学級委員長風のきりっとした女子生徒から、まっすぐ目を見て言われました。

「日本は欧米並みに成功を収めているアジアで唯一の国。フィリピンはとても後れている。フィリピンは日本を見習わないといけない。そのために、私は日本をもっと知りたいし、日本で働きたいのです。」

私は、あまりにも心構えが出来ていない自分を、恥じるしかありませんでした。

 

 

続く

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