オーストラリアの大自然を堪能した私は、再びアジアのごちゃごちゃした熱気に触れたいと思いました。とは言え、ただごちゃごちゃしているだけではつまらない、美味しいものも食べたいし、文化にも触れたい。そこで向かったのが、バリ島でした。
デンパサール空港に到着したのは夜。この日は泊まるだけです。空港近くのクタという町で宿を探し当てます。寝るには早いな、どうしようかな、と思ってビーチでぼんやりしていると、インドネシア人の若い男の子がふたり、私を日本人と見て話しかけてきました。自分たちはジゴロとのこと。要するに、日本人の女の子をナンパして飲食などをせしめている奴らです。たしかに、顔立ちは良く、性格も悪くなさそうですが、サラサラの髪をかき上げたりして、チャラい雰囲気は否めません。それでもこうして私に声をかけてくれたわけですから、飲まないわけにはいきません。どういうわけか、彼らは私にビールを奢ってくれます。よほど稼ぎがあったのか、私をどうこうしようと思ったのか、単にお近づきのしるしか。一応、何か入れられないか注意しつつ、ビールをいただきます。街の喧騒はすでに止み、波の寄せる音が夜の闇に漂うなか、楽しく会話が進みます。彼らは率直に自分たちの生活や考えについて語り、私も興味を持って聞きます。ビールもだいぶ空いた後、彼らは楽しい時間に礼を言いつつ、どこへともなく去っていきました。どうやら良い人たちだったようです。
幸先の良いスタートを切った私は、翌朝、乗り合いバスに乗り、ウブドに向かいます。ウブドは、家具製作や芸術が盛んな町です。バリ島に行ったら絶対ケチャが見たいと思っていたので、真っ先にウブドに向かったわけです。ケチャは、古代インドの叙事詩ラーマーヤナの物語を題材とする舞踊劇で、大人数のボイスパーカッションによる複雑な合唱を特徴とします。呪術的という言葉がぴったりくる、エキゾチックかつプリミティブでありながら洗練された舞台芸術です。非常に楽しみにしていましたが、実際に見て、地の底からうねり出てくるような男声合唱の迫力もさることながら、様々な神の仮面をつけた激しい男性の踊り、伝統衣装をまとった優雅な女性の踊りとの融合も素晴らしく、魂が激しく揺さぶられました。
ケチャを見たことでだいぶ欲求が満たされた私は、その後、町中の家具工房や郊外の棚田を散策しながら、食べ歩きをして過ごしました。
インドネシア料理でポピュラーなのは、ナシゴレン(炒飯)、ミーゴレン(焼きそば)、ナシチャンプル(白飯とおかずのセット、沖縄のチャンプルーとは全然違う)、サテアヤム(焼鳥)といったところです。そのへんの屋台で食べる分には、量はそんなに多くないので、あれこれ注文してもいいし、おやつにちょっと食べるのもいいです。タイ料理などと比べるとそんなに辛くないので、気軽に頼めます。
ただでさえ暑いバリ島。歩き回ると大汗をかきます。食事にはビールは欠かせません。バリ島では、ビンタンビール、バリハイビールといった国産ビールが飲めます。いずれも麦の味がしっかりありつつ、口当たりが良くさっぱり飲めます。ナシゴレンを現地向けの辛さにして、目玉焼き(油の海に割り落して加熱するので、目玉揚げと言った方が正確)をトッピングしたものを、バリハイビールで流し込むのが好みでした。
ウブドを堪能した私は、なんとなく東に向かうことにしました。乗り合いバスの乗降口から半身を乗り出し、落下しないよう車体にしがみついたりしながら進みます。やがて、アメッドという町に着き、なんとなく通りかかったホテルにいた日本人女性に声をかけられました。彼女はそのホテルのオーナーで、日本人旅行者が来るのは極めて珍しいとのこと。そりゃそうでしょうね、私も来る予定など全然なく、一切無目的で来たのですから。しかしこれも何かの縁、そのホテルに泊まることにしました。
オーナーはダイビングのインストラクターでもあり、私にダイビングの経験の有無を聞いてきます。一応ライセンスは持ってはいるものの、数年前にメキシコで取って以来潜っていないので不安だと、正直に告げます。とりあえずやってみよう、ということになり、潜りました。思いのほか覚えていて、とくに問題なく潜れました、が、台風の時期で海はだいぶ濁っていて、肝心のお魚はあまり見られませんでした。それでも気を良くした私は、夜、オーナーがセッティングしてくれた他の宿泊客との飲み会で、日本の歌(と言っても沖縄民謡ですが)を披露したりして、懇親を深めました。
その飲み会で給仕をした従業員たちと、翌朝いろいろ雑談をしているうちに、だいぶ仲良くなりました。私は目的もなく滞在しているので、何かやることないか聞くと、その夜に地元のお祭りがあるとのこと。家族がお祭りの準備をしている自宅に、さっそく連れて行ってもらいます。お祭りで演奏するためガムランの合奏の練習をしています。私も急遽混ぜてもらいました。ガムランは、インドネシアの民族音楽で、いろいろなサイズの銅鑼や鉄琴による合奏です。金属楽器を用いているので、音量は大きめで派手めですが、キンキンした音色ではありません。たくさんの楽器の音を重ねるせいか、微妙な音程のずれがあり、うねるような、くぐもったような感じが醸し出されます。私は銅鑼を叩きながら、音のうねりに包まれます。時間が永遠に流れていくような感覚のなか、恍惚とした時を過ごしました。
お手製の地酒もふるまってもらいました。アラックという、ココナツを原料とした無色透明の蒸留酒です。蒸留酒なのでアルコール度数は高いのですが、ココナツの甘酸っぱい味がするので、アルコール臭は強くは感じません。独特の酸味があるので、苦手に感じる人はいるかもしれませんが、私は守備範囲内でした。アラックでさらに調子づいた私は、みなさんとお祭りに出かけました。地元の人たちでごったがえしています。一番人気は闘鶏で、人だかりがすごいです。エキサイトしている地元の人たちの後ろからどうにか鑑賞しましたが、鶏の戦う様よりも、人々の熱気が印象に残りました。
他の従業員からは、家族の漁に同行することを誘われました。滅多にない機会ですので、ありがたくお受けします。早朝の出航とのことで、自宅で寝かせてもらいます。しかし、木造の家の梁の隙間から、トッケー、トッケーという鳴き声が響き渡ります。鳴き声の主を尋ねると、ずばり「トッケー」とのこと。見ると、ヤモリでした。悪さはしないよ、というので、無視して寝ようとしますが、他に何の音もしないなか、トッケーの鳴き声は私を攻め立て続け、なかなか寝付けません。それでもなんとか寝たのでしょう、翌朝目を覚ました自分に気付きます。すでに船は出た後。おそらく、みなさん私を起こそうとしたものの、起きなかったのでしょう。トッケーを恨みつつ、お気遣いに感謝して家を辞しました。
このようにしてバリ島での時間は過ぎました。みなさん優しくて良い人ばかりでした。幸福な旅を続けてきたなと、感謝の念を抱きつつ思い返しています。
続く