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海外の旅

海外の旅の話 その25 夏子の酒


2023.07.24海外の旅


南米大陸に足を踏み入れたことがなかった私は、スペイン語を忘れ去る前に、どうしても南米に行かねばならない、と考えていました。ただ、一言で南米と言っても広いです。ギアナ高地のあるベネズエラ、ガラパゴス諸島のあるエクアドル、リオのカーニバルが有名なブラジルなど、どこも魅力的です。そして、行くのが遠い。

迷っているなか、友人のお父さんがボリビアに数年間赴任していたことを知りました。詳しく聞くと、熱帯雨林地方にあるコロニア・サンファンという日本人移住地で、移住者の2世3世にシニアボランティアとして日本語を教えていたとのこと。お父さんは元教師なので、そういった活動が可能なわけです。写真もお好きで、たくさんの写真を見せていただきました。鮮やかな色彩にあふれた風景の数々。これは行くしかない、ということで、コロニア・サンファンの住民の方に連絡を取っていただき、ボリビアに向かいました。

 

アメリカでトランジットし、ボリビア第2の都市サンタクルス・デ・ラ・シエラに降り立ちます。熱帯のムッとする空気に包まれます。空港で待機している乗合タクシーは、日本の中古の業務用バンが多く、日本語の社名がペイントされたままです。運転手のおじさんと雑談しながら、熱帯の道を飛ばすことしばらく、コロニア・サンファンに着きました。

 

この移住地には九州出身の方が多く、私がお世話になったご家族も、ルーツは九州でした。移住地の家族内では日本語を話していますが、三世にもなると社会とのやり取りは基本的にスペイン語でやっているので、日本語が流暢にしゃべれない方も出てきます。それで日本語教育が必要になるわけです。

 

移住地の市街地はこじんまりとしていて、道路は未舗装です。周囲には農園が広がり、熱帯雨林を開墾してきた経緯が見て取れます。広大な畑を車で巡ります。ガタガタ道を走るとグァテマラを思い出します。レストランに立ち寄り、カピバラの焼いたものや川魚の素揚げなどを食します。道中は昔話を聞かせていただきます。入植は熱帯雨林の巨木を伐開するところから始まっていて、大変な苦労があった、様々な種類の野菜や果物を植え付け、根付かずに終わることを繰り返しながら、徐々に栽培に成功していった、せっかく実った農作物を盗まれることもあった、などなど。地元の人からは、他国の移住者は商売ばかりで地元民の仕事を奪い国の富を増やさないが、日本人は農業生産物の種類を増やし、栽培方法を地元民にも伝えるし、農業生産量を上げるので、国に貢献しているとされ、評判は良いそうです。

 

ご家庭では日本食やボリビア料理を振舞っていただき、大変な歓待を受けたのですが、地球の反対側に着いて2~3日経っても、どうにも時差ぼけが治りません。日中はうつらうつらして過ごし、夜はちっとも眠れません。そこで手にしたのは、ご親族が送ってくださっていた「夏子の酒」。新潟の実家の家業の造り酒屋を引継ぎ、幻の酒米を復活させることに奮闘する女性の漫画です。ボリビアの熱帯の蒸し暑さのなかでマンゴーやらを作っている現実世界とはまったく真逆のストーリーですが、そのギャップに興奮したのか、単に寝つきが悪かったのか、夜通し読み漁りました。

 

この地方には、沖縄からの移住者が築いたコロニア・オキナワもあるとのことでしたが、ご近所というほど近くもなく、訪れることはできませんでした。後に沖縄に移住し、世界のウチナーンチュ大会のアテンドをしたことを考えると、この時コロニア・オキナワを訪ねておけばよかった、と悔いが残ります。

 

居候を続けることも気まずくなってきたので、コロニア・サンファンを辞去し、サンタクルスから夜行バスに乗りこみ、首都ラパスを目指します。ラパスはアンデス山中(アルティプラノ)にあり、サンタクルスとの標高差は3500メートルほどもあります。このように標高差が大きい移動は、高山病を避けるため、本来は時間をかけて行うべきです。しかし、まだ高山病の辛さを知らない私は、移動時間をケチるため、一晩でアルティプラノに辿り着くことにしました。飛行機よりはマシですし。

 

ラパスには、協力隊の同期がJICA事務所に駐在していて、数年ぶりの再会を果たしました。同期は私と同じ村落開発普及員として、グァテマラと同じ中米のニカラグアに赴任していました。グァテマラで活動の方向性に悩んでいた私は、同じ職種の同期がどのような活動をしているか、非常に興味がありました。しかし赴任中はパスポートの制限があり、会うことはできませんでした。私と同期は、お互いの活動や現地での生活について、夜更けまで語り合いました。

 

ラパスには、グァテマラで一緒だった別の隊員も、JICA事務所に勤務していました。それで、一緒にチチカカ湖へ行ったりしました。チチカカ湖への道中は、いかだに車を乗せて移動したりして、南米っぽさを楽しみました。協力隊の繋がり、有難かったです。

 

続く

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