北欧の旅では、美術館を巡りました。
私は絵を描くことが大の苦手です。苦手なだけでなく、ギリシャ・ローマ期の彫刻、ルネサンス期の風景画や肖像画といった、典型的な西洋美術の作品を見ても、全然興味を持てませんでした。幼稚園以降、お絵かき、図工、美術の授業はひたすら苦痛で、高校で最後の美術の授業が終わったとき、強い解放感を抱いたのを覚えています。
そんな私が、たまたまサルバドール・ダリ展とカンディンスキー展の広告を目にしたとき、物珍しさから、なんとなく惹かれました。自分が美術展に興味を持ったことへの驚きもあり、行ってみることにしました。すると、それまで見たこともなく、存在すら知らなかったような絵がいっぱいあり、造形、色調ともに心に残りました。世の中にはこういう退屈じゃない絵もあるのだ、ということを知り、それ以降西洋絵画に興味を持つようになりました。
幸い、私の住んでいた東京には、美術館がたくさんありますので、週末にあちこち行ってみました。ピンと来ないものもありますが、結構面白いものもあります。何が面白いのかうまく説明できないのですが、「面白いもの見たな」という満足感は得ることができました。なかでも、箱根の彫刻の森美術館は、作品が屋外に展示されていること自体が雰囲気として楽しく、晴れていれば一日過ごせるのでお気に入りでした。
と言っても、長年美術嫌いだった私が興味を持つ美術展など、そうそうありません。そこで、画集を見て、世の中にはどういう画家がいてどういう絵を描いているのか、どんな絵に自分は興味を感じるのか、知るように努めました。
その結果、以下のようなことがわかってきました。
・一番好きな画家は、最初に興味を持ったカンディンスキーではなく、パウル・クレー
・しかしなぜ好きなのかよくわからない
・日本で人気の印象派の作品はきれいだとは思うが、好きというほどではない
・シャガールはきれいに感じるし幻想的で好き
・地味だけどジョルジュ・ルオーの作品に静かに惹かれる
・ダリは、最初は面白かったけどだんだん疲れるようになった
・風変りな絵の系譜では、アンリ・ルソーが面白くて好き
・ピカソは、陶芸作品の形や絵柄は面白いが、絵画となるとさっぱりわからない
・ピカソ以外のキュビズムもさっぱりわからない
・古典的な絵画は相変わらず興味を持てない
とくにクレーはお気に入りで、大学の近くの画材店や美術館に行くたびにポストカードを買い漁ったり、安物ですが額入りのポスターを買ったりするようになりました。
そうこうしているうちに、北欧の旅が近づいてきました。そのことを伝えた美術好きの友人から、ぜひ美術館巡りをしてほしい、理解が深まるので絵画史を学んで行った方がいい、とアドバイスされ、新書ですがざっと読んでみたりもしました。すると、誰がどういう位置づけにあるのか、なんとなくイメージが湧くようになりました。
そうやって準備をしたうえで、各地の美術館を巡ったわけです。ある程度の規模の美術館がある町では、なるべく美術館に立ち寄るようにしました。日本では、良さそうな企画展はだいたい大混雑するので落ち着いて鑑賞できないし、作品の展示の仕方もぎゅうぎゅう詰めで気持ちが切り替わっていかないことがあり、相当気合を入れないと鑑賞しきれませんでした。一方、北欧の美術館は人もまばらで、作品もゆったり展示してあるので、ゆっくり鑑賞できました。
たくさん見過ぎたせいか、細かいことは覚えていないのですが、一番印象に残ったのは、ノルウェーの首都オスロで見たエドワルド・ムンクです。ムンクはノルウェー出身の国民的な画家で、オスロには有名な「叫び」以外にもたくさんの所蔵品がありました。
私は、もともと知っている作品の初めての本物として、「叫び」を見ました。この時は、画面から、叫び(音)というより、訴える気持ちそのもの(の圧力)が強烈に伝わってくる感じや、ただ開けただけのように見える目で心を射抜かれたような感じがして、とても強い印象を受けました。
また、「接吻」「吸血鬼」といった他の多くの作品も鑑賞できました。明るい色を使っていても全体的に暗く映る色調、表情は簡略化されているのに強いメッセージ性を感じるところなどに惹かれ、こういう世界観もあるんだ、と衝撃を受けました。
もちろんパリでも美術館を巡りました。ただ、さすがに芸術の都パリ、じっくり美術館を見て回ったら、とても時間が足りないし、気力と体力がもちません。それでも有名どころは押さえたくて、ルーブル美術館、オルセー美術館、ポンピドゥーセンターに行きました。
まず、ルーブル美術館です。
ここは大き過ぎて、見始めて間もなく、こりゃ全部鑑賞するのは到底無理だ、と諦め、駆け足で見て回りました。有名なモナリザは、はるか遠くに飾られている小さい絵を、ごった返しの観客が取り巻いていて、上野動物園でパンダの赤ちゃんを見ているようなものでした。サモトラケのニケ、ミロのヴィーナスも見たはずですが、まったく記憶にありません。ただ、古代エジプトや古代オリエントの出土品が数多くあるのを見て、これ全部他国から持ってきちゃって返していないんだよな、すごいことするよな、と思ったのを覚えています。
次に、オルセー美術館です。
ここには、マネ、モネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、スーラ、シニャック、ロートレックなどなど、日本でも有名な画家の有名な作品がたくさんありました。とくに印象に残ったのは、ミレーです。有名な「晩鐘」は思っていたよりはるかに薄暗く、そのせいか夕暮れの時間が止まったような雰囲気が強く感じられました。ミレーは、王侯貴族や著名人ではなく、名もない農夫といった貧しい民をモチーフにしたことで有名だそうですが、それまで貧しい民を絵にすることがなかった=題材として価値を見出す人がいなかった、ということなのでしょう。絵を買う階級からすればそうなのでしょうが、絵が誰のため・何のためにあるのか、という点の感覚が、現代に生きる私とは根本的に違っていたのだろうな、と思いました。ミレーの描く農夫は顔がぼんやりしていて、絵の主人公という感じはしないです。農夫を描きつつ抑えた表現を用いるところが、ミレーの生きていた時代の感覚の反映なのかもしれません。
最後に、ポンピドゥーセンターの国立近代美術館です。
ここには、近現代美術の作品が収められています。作家としては、マティス、ピカソ、シャガール、ダリ、カンディンスキーなどなど。私の好みに近い作品がたくさんありましたが、お腹いっぱいになったということしか覚えていません。こんなに詰め詰めで美術館を巡ったのは、後にも先にもパリ滞在中だけです。あの頃は体力がありました。
続く