私はさらに北に向かいました。目的地は、相変わらずありません。
やがて、かなり大きな町に着きました。ホテルもありそうです。ここに滞在することにしました。とりあえずぶらぶらして、久しぶりの町の空気を味わいます。思った以上に人出があるので、聞いてみると、何かお祭りがあるとのこと。本番は夜のようなので、それまで何かして時間を潰すことにしました。
調べてみると、郊外にちょっとした名所の村があるようですので、乗り合いタクシーで村に向かいます。着くと、土壁に囲まれた円筒形の建屋のうえに、木の枝か何かで編まれた尖がり屋根が乗っかっている家が、あちこちに建っています。それはそれで見ていて楽しいのですが、さらに進むと、これまた変わった集落に辿り着きました。
その集落は、灰褐色の土で作られています。しかも、日本の長屋のように、全ての家がくっついています。ただし、日本の長屋は同じような構造の家がまっすぐ連なっているのに対して、この集落の通路は、縦にも横にもぐねぐねと曲がりくねっていて、この通路に面して、それぞれ大きさも形も違う家(どちらかというと部屋)が繋がっています。住民の背が低いのでしょうか、家はどれも小さくて、出入りに一苦労します。
集落全体を囲む壁もあるため、集落は小さいながらも要塞の趣です。現在は観光の用に供されているため、住民は別の場所に住んでいるようです。なぜこんな場所にこんな集落ができたのか、大いに興味をそそられました。
さて、町に戻ろうとすると、乗り合いタクシーがいません。聞くと、今日はもう来ないとのこと。集落見学に時間をかけ過ぎました。すでに夕方にさしかかっています。どうしたものか。ここまでの道はなんとなく覚えていました。途中まで戻れば、ある程度広い道に出るはずです。広い道まで出れば、車が通るだろうから、適当に乗せてもらえるだろう。という判断をもとに、歩き出しました。まぁ集落にいてもどうしようもないのですが。
しばらく歩くと、記憶のとおり、ある程度広い道に出ました。その道を、町に向かって歩き続けます。夕方から夕暮れ時になり、夕闇が迫り始めます。しかし、案に相違して、車は一台も通りません。それどころか、人すら通りません。これは失敗したかも・・
完全に日が沈みました。車が通る予感は、ますます遠のいていきます。周囲は、人里から離れていないとは言え、アフリカのサバンナの草原。大型肉食獣が出てきても文句は言えません。夜空に星が瞬き始めます。きれいな星空。しかし私の心には、星空を堪能する余裕などありません。早足に、時には小走りに、歩みを進めます。
1時間以上経ったころでしょうか、私の後ろから1台の自転車がやってきました。
天の助け!
必死のゼスチャーで自転車を止めます。誰も通らない夜道で、見知らぬ外国人から、必死な様子で声をかけられて、さぞ驚いたことでしょう。それでも彼は立ち止まって、私の訴えを聞いてくれます。どうやら、私の願い、その辺まで乗っけてって欲しい、ということを理解してくれたようです。自転車の後ろに立つよう、促してくれました。
私は後輪の車軸の先に両方のつま先をかけて立ち、彼は自転車を走らせました。おそらくタイヤに空気が十分入っていない自転車で、大きく重量を超過した状態で、未舗装の道を走るのは、決して快適なドライブではなかったはずです。しかし、星空の下、心は極めて晴れがましく、私にとっては正真正銘のビクトリーランでした。
数分ほど進むと、舗装路に出ました。なんだ、あと少しだったんだ、との思いが頭をよぎりましたが、彼への感謝の気持ちは変わりません。固く握手をし、写真を撮らせてもらって、彼と別れました。その彼の顔を、日本に帰ってから写真を現像して初めて知りました。何しろ、別れたときには白眼と歯と手のひらしか見えなかったもので。
やがて、通りかかったピックアップトラックを止めて、荷台に乗せてもらいました。荷台には、その夜のイベントに向かう近所の人々がぎっしり乗っています。私という異邦人の乱入によって、彼らのテンションは異様に盛り上がり、何やら讃美歌のような歌を唄い始めました。彼らの合唱は街に着くまで続き、私はアリーナでコンサートを観たような、充実した気分になりました。その夜には何か続きがあったと思うのですが、お腹いっぱいになったのでしょう、まったく覚えていません。
続く