クマシを脱出した私は、ギニア湾岸のタコラディという町に着き、さてどうしようと考えました。東に進めばアクラに戻ります。しかし、もともと行きたかったコートジボワールの雰囲気を少しでも味わいたくなり、西の国境方面に向かうことにしました。
やがて、エイクウェという小さな町に着きました。ぶらぶら歩きながら見ていると、病院の建物に、日の丸の絵が描いてあります。どうやら、日本の援助が入っているようです。直感的に、ここには協力隊員がいるはず、と思いました。病院の受付の人に聞いてみると、日本人ボランティアが働いているとのこと。やっぱりね。
受付の人が、日本人ボランティアを呼んでくれるというので、待っていました。しばらくすると、白衣を着た日本人男性が現れました。怪訝な顔をしています。そりゃそうですよね。私は、自分が協力隊ОVであること、ガーナは旅行で訪れていること、たまたまここに来て、協力隊員がいそうなので立ち寄ったことなどを伝えました。彼は非常に歓迎してくれて、病院を案内してくれました。
勤務終了後は自宅に招いてくれ、泊まらせてもくれました。彼は私と同い年で、感受性がとても豊かな人でした。芸術性にも溢れていて、自宅の部屋の壁一面にペインティングを施したりしていました。とても素敵に仕上がっていたので、大家さんも喜んでくれたようです(事前には承諾を取っていなかったのかな?)。
ビールも進み、話は大いに盛り上がりました。医療関係者ならではの話も聞けました。人の生き死にと近い仕事は大変だな、器材も人材も足りない現場で医療関係の職種で活動している協力隊員って偉いな、とあらためて感じました。翌朝はギニア湾のビーチで波と戯れ、連絡先を交換して別れました。
彼とはその後、日本で何回か会うことができ、その都度楽しく話をさせていただきました。本当に良い出会いとなりました。感性豊かな彼と話すとき、いつも良い刺激を受けました。
エイクウェからタコラディに戻った際、最初に訪れた村でお世話になった家族のおじさんと、路上でばったり再会しました。お互いおおいに驚き、おじさんから記念に民族衣装をいただきました。クマシで民族衣装を購入し損ねた私にとって、望外の喜びで、おじさんに深く感謝して、日本に持って帰りました。
帰国後、この民族衣装を着て夜の高田馬場駅周辺を歩いていると、向こうからやって来た見知らぬアフリカ系外国人に、突然話しかけられました。聞くと、彼は南アフリカ出身で、日本でアフリカの民族衣装を見かけたので、嬉しくなって呼び止めた、とのことです。ガーナと南アフリカでは民族衣装はだいぶ違うと思いますが、一目見てアフリカの物とわかるものなんですね。一緒にいた友人たちの、何が起こったのかと呆気にとられた表情も、彩を添えてくれました。
このように、ガーナの旅は、帰国後までも味わい深く、素晴らしい旅になりました。
続く