私たちを乗せたシベリア鉄道ロシア号は、やがて終点モスクワに到着しました。ハバロフスクを出発してから5~6日かかっています。長い道のりでした。
モスクワに到着した当初、私は風邪をひいていたので、ランチに出かけた以外はホテルの部屋で休んでいました。回復した後もあまり出歩かなかったため、モスクワの様子はあまり覚えていません。ただ、モスクワ市内の移動に不可欠な地下鉄の風景は、よく覚えています。
モスクワの地下鉄は、地下深くに建設されています。核戦争時のシェルターとしても利用できるように、という話でした。真偽のほどはわかりませんが。とにかく地下深いので、地上の入り口から改札やホームに向かうまで、長いエスカレーターに乗ることになります。総武本線・横須賀線の東京駅や、大江戸線の東中野駅みたいな感じです。東京以外の方、例がわかりにくくてすみません。
このエスカレーター、ステップのスピードより手すりのスピードが若干速いです。手すりに掴まっていると、いつの間にか手が数十センチ先に持っていかれます。エスカレーターはかなり長いので、乗ってから下りるまでの間に、何回か体の脇まで手を戻さないといけません。後ろの人と会話をしたり、周りを眺めたりしていて、手を戻し忘れると、前につんのめってしまいます。バランスを崩すと、はるか下まで転がり落ちることにもなりかねません。危険です。
そのような危険をかいくぐってホームに辿り着くと、見事な装飾が施された壁や床、やや暗いものの豪華なシャンデリアが待っています。残念ながら、地下鉄の施設は撮影禁止だったので、記録には残っていませんが、記憶にははっきり残っています。
ただ、地下鉄の車両自体はぼろかったです。
さて、モスクワでは、赤の広場に行きました。
赤の広場は、モスクワの中心にある広場です。赤くはありません。ロシア語では「クラスナヤ・プロシシャチ」、本来は美しい広場という意味です。クラスナヤという言葉に「赤い」という意味と「美しい」という意味があるのですが、日本ではどういうわけか「赤の広場」の名前で通っています。
赤の広場の周りには、クレムリン、聖ワシリー大聖堂などがあります。
クレムリンは、ロシア語でクレムリ、「城塞」という意味です。ロシア帝国時代には宮殿で、ソ連共産党が政府の建物として利用していました。今はロシア連邦の大統領府になっています。
聖ワシリー大聖堂は、ロシア正教の寺院で、色鮮やかなタマネギ形のドームがいくつも立ち並ぶ様が有名です。
赤の広場には、外国人観光客も多くいますが、その観光客に物を売りつけようとするロシア人も多くいます。売っているものは、軍用のロシア帽、腕時計その他横流しと思わしき物品です。物売りには大人もいますが、子どもも結構います。コバエのようにたかってくる大小の物売りを掻き分けながら、私たちはレーニン廟に入りました。
レーニン廟は、その名の通り、レーニンを祀っている場所です。建物の内部に、冷凍保存されたレーニンの遺体が安置されています。内部は撮影禁止、おしゃべりもダメです。兵士が何名も警備に当たっていて、強い緊張感に包まれています。見学者は、一列にゆっくりと、立ち止まらずに進まなければなりません。私は、レーニンの遺体の傍に来た際、よく見ようとしてわずかに近づきました。その瞬間、スッと兵士が体を寄せてきて、無表情のまま無言で、先に進むよう目くばせをされました。少しでも不審な動きをする者がいたら、すぐに対応するよう訓練されているのでしょう。下手に抵抗したらすぐ拘束されそうです。「ソ連」を感じた瞬間でした。
レーニン廟を出ると、赤の広場に人だかりがありました。よく見ると、人だかりの中に、白装束の集団がいます。日本人のようです。さらによく見ると、中心に紫の服を着た長髪の男が。なんと有名な新興宗教の教祖ではないですか。何やら辻説法めいたことをしています。こんなところで日本の新興宗教の集団に遭遇するとは。私たちは大いに驚きました。
ツアーメンバーの中には、この稀な出来事のインパクトをさらに高める何かがないか、考えた者がいました。そして、たまたま傍にいた一人の物売りの少年に対して、あの集団に何か売ることができたらお小遣いをあげよう、と持ちかけたところ、交渉は成立しました。少年は果敢にも集団に接近しましたが、数名の屈強なロシア人に行く手を阻まれ、残念ながら目的を達成することはできませんでした。ボディガードが雇われていたようです。少年は手間賃代わりに何か商品を売り、労をねぎらわれたあと、人混みに消えて行きました。
あらためてモスクワの街中を見ると、あちこちの電信柱や壁に、教祖の講演のポスターが貼ってあります。もちろんロシア語で書かれています。後に一連の事件が発生してから知ったのですが、当時はこの集団がロシアに勢力を拡張しようとしていた時期のようでした。その時撮った写真には教祖の傍に控える著名な幹部も写っています。今思い返しても、本当にあった出来事なのか、不思議に感じます。
続く