モスクワの後は、寝台特急でサンクトペテルブルグに向かいました。
サンクトペテルブルグは、ロシア第2の大都市です。フィンランド湾に面し、西欧文化の影響が強い洒脱な街です。海沿いのため比較的寒さが厳しくないとされていますが、私たちには十分寒かったです。ソ連時代はレニングラードと呼ばれていましたが、当時すでに改名されていたかと思います。
サンクトペテルブルグには、チャイコフスキー、ムソルグスキー、グリンカ、リムスキー・コルサコフ、ボロディンなど、ロシアを代表する作曲家たちが眠る共同墓地があります。クラシックに興味のない人には単なる墓地ですが、ロシア音楽が好きな私には、これらの作曲家たちがこの世に生きていたことを実感できる、非常に興味深い場所です。雨交じりの天気を押して出かけました。墓地は、そんなにきれいには整備されていませんでしたが、白樺が立ち並ぶ、いかにもロシアっぽい雰囲気の漂う場所でした。私は地下に眠る作曲家たちの時代を偲びました。
ロシアと言えばバレエが有名です。私はバレエを観たことがなかったので、オプションでチケットを購入し、わくわくしながらバレエ鑑賞に臨みました。演目はたしか「ジゼル」だったと思います。初めてのバレエ鑑賞で比較の対象がなく、印象はおぼろげですが、本場で本物を見た、という満足感に浸りながらホテルに帰ったことは覚えています。
サンクトペテルブルグでは、エルミタージュ美術館にも行きました。
エルミタージュ美術館は、世界三大美術館のひとつに数えられており、収蔵点数も多く、建物も巨大です。現地では単にエルミタージュと呼ばれていました。
私は、美術館はじっくり見る派です。有名な作品に辿り着く前の、入ってすぐの展示室からじっくり見るため、いつもけっこう早く疲れてしまいます。足は棒になるし、肩は凝るし、腰は痛むし、頭も回らなくなるし、何を見てどう感じたのか思い出せなくなるし、いいことがありません。しかし習性なんですね。そして、エルミタージュはとにかくでかい。結果、何を見たのか全然覚えていません。たぶん、当日エルミタージュを出た瞬間も、記憶は中に置いてきた感じだったと思います。覚えているのは、窓のカーテンがきちんと閉められておらず、何点かの絵画に日光が直接当たっていたこと、ああ、こうやって貴重な美術品がダメになっていくんだなあ、俺がカーテン閉めていいなら閉めたいなあ、と思ったことぐらいです。
他には、港あたりのどこかに行きました。今調べると、ペトロパブロフスク要塞という名所があって、どうやらそこのようです。何を見たかは全然覚えていませんが、そこで事件が起きました。
建物の出口付近で、私たちはロシア人数名に声をかけられました。銀行より有利なレートで、米ドルをルーブルに両替する、とのことです。輪ゴムで束ねたルーブル札をちらつかせてきます。私たちは、レートがいいならいいか、という軽い気持ちで、順次両替に応じていきました。
私の番になり、ルーブルの札束を受け取りました。私は、受け取った札束をとくに確かめることなく、ドル札を両替屋に渡そうとしました。そのとき、すでに両替を終えたメンバーたちが騒ぎ出しました。本物のルーブル紙幣は束の表の数枚だけで、中身は紙切れが大半だったのです。
事態を察した私たちの添乗員が、猛ダッシュで両替屋に詰め寄り、手を開けろ、渡したドル札を出せ、と怒鳴りつけます。両替屋は、やばい、ばれた、という顔をして、ダッシュで逃げ去ります。
私は、あっけにとられていましたが、ふと気づくと、手には、両替屋に渡さずに済んだドル札と、両替屋から渡された数枚のルーブル紙幣(と大量の偽札)を握りしめています。
あれ、タダでルーブルもらっちゃったよ。
だまされた仲間たちには申し訳なく思いましたが、もらった金額はたいしたことなかったので罪悪感は低く、むしろアクシデントの中で笑えるネタができた、くらいの気持ちでした。
シベリア鉄道でも、高級品と称して不味いキャビアを売りつけられた仲間がいましたし、とくに私は革コートとカメラを盗まれていました。そんな私たちは、やっぱりこの国は油断ならない、という思いを強くし、連帯感を高めることとなりました。
続く