電話がいろいろ大変なため、日本と手紙のやり取りをしている隊員は多かったです。
郵便料金は、電話と比べると驚くほど安く、金額を忘れてしまったほどたいしたことなかったです。それで、赴任当初は、多くの知人や他国の隊員にはがきや手紙を出していました。
しかし、これがなかなか届きません。たまには、日本に2週間もかからずに届くこともありましたが、大抵は1か月以上かかっていました。届かないことも珍しくありません。日本から届く場合も同様です。
理由としては、グァテマラの中央郵便局の局員が給与遅配の解消や増額を求めての一種のストライキとして集配作業をストップしている、軍の検閲に時間がかかる、などの噂がありましたが、真相は不明です。私は、局員が単にさぼっているだけのような気がしていました。
隊員宛の郵便物は、大抵は隊員宿泊所宛とされており、隊員宿泊所の棚の各自所定の位置に配られます。たまに上京した際、この棚に自分宛の郵便物があるのを見つけると、とても嬉しかったです。
お互いに郵便物が届くのに時間がかかるため、相手の手紙を受けてこちらで応える、といった言葉のキャッチボールは難しいし、キャッチボールできるまで待てません。そもそも手紙が届かなければ、キャッチボールのしようがありません。なので、お互いが一方的に近況報告をしたり気持ちを伝えたりすることも多かったです。
一度、8月ころに、私の棚を見ると、日本の年賀はがきが置いてありました。差出人は日本の友人です。おやおや、年賀状余っちゃったのかな、と思って読むと、「謹賀新年」「今年もよろしく」みたいなことが書いてあります。どうやら、本当に正月に書かれた年賀はがきのようです。つい笑ってしまいました。
こういうのはかわいいものですが、交際相手に出した手紙、交際相手が出した手紙が届かない、となると、話はそう簡単ではありません。お互いに、手紙を出したのに返事をくれない、と不満を抱えることになります。それで疎遠になったり険悪になったりした事例は、少なくはないでしょう。今の世の中では考えられないことですが、わずか25年前はそういう時代でした。
苦労して届いた手紙を読むのは、実に嬉しいことでした。届いたその場で読み、また後で読み、自宅に戻ってから何回も読み返しました。どんな返事を書いたらいいか、すごく考えて、丁寧に返事を書きました。返事を書くのは大抵夜でしたが、楽しい時間でした。届くのは首都ですが、返信を出すのはサラマの郵便局です。この手紙が、時間はかかってもいいから、ちゃんと相手に届きますように、と祈るような気持ちで毎回出していました。今にして思うと、サラマから日本に届けられるのはまだしも、他の国、それも発展途上国で治安もあまり良くない国にまで、ああして手紙が届いていたのは、奇跡と言ってもいいでしょう。届いた手紙が繋ぎ止めてくれた友情や、支えてくれたしんどい時間は、決して少なくありません。有難いことでした。
続く