北欧で私を待ち受けていたのは、想像以上の物価高でした。
宿は基本的にユースホステルのドミトリーか、なるべく安い宿を探していました。当然食事など付いていません。それでも、1泊3000円以上はします。油断なりません。
食材は、スーパーで調達しましたが、なんでも結構高いうえ、品揃えも豊富ではありません。しかし他に選択肢はありません。水、パン、ハム、チーズ、トマト、キャベツ、バナナをある程度の分量仕入れました。日本から持って行った荷物は、中ぐらいのリュックひとつと、普通のデイパックひとつ。そのデイパックの方に食料を詰め込んで持ち歩いていました。食べるときは、朝食は野菜メイン、昼食はハム・チーズがメイン、夕食は両方織り交ぜて、という感じでメリハリをつけつつ、基本的に毎日同じものを食べていました。
缶ビールだけは、日本より安く、現地で買う水よりも安いので、気軽に買っていました。デンマークのTUBORGという銘柄が口に合いましたが、CARLSBERGも美味しかったです。夜は缶ビールを片手に散歩するのが楽しみでした。たまにリンゴを買うこともありました。酸っぱいのですが、ビタミンが補給される感じがするし、気分転換に良かったです。
そんな毎日でしたので、レストランで食事することは、週に1度あるかないかでした。デンマークではランチぐらいしかできず、スウェーデンで初めてレストランでディナーコースを食べました。この時はあまりにも美味しくて嬉しくて、食べた料理すべてを克明に絵葉書に記録して、実家に送ったりしました。
スウェーデンでは、生まれて初めてバラのジャムを見つけて、一瓶買いました。香りが素晴らしく、日々の食事が非常に豊かになりました。十徳ナイフですくってパンに塗っていたのですが、少しも無駄にしたくなくて、ナイフに付いたジャムを舐め取っているうちに、鋭利な刃先で唇を切ってしまい、なかなか血が止まらなかったこともあります。
ノルウェーでは、フィヨルドを縦断する列車に乗り込んで席を探しているとき、優しそうな高齢のご婦人を見つけました。この人親切そう、仲良くなったら何かいいことあるかも、と直感的に思って、意図的に隣に座り、一生懸命しゃべって仲良くなりました。すると、実にいいタイミングで、車内販売のワゴンが通りかかりました。ワッフルなどがあるようです。冷たいサンドイッチばかり食べていた私は、温かい食べ物が食べたい!という強い衝動を感じました。そこで、わざとらしく「あれ何ですか」「食べたことないです」などとご婦人に尋ねました。親切なご婦人は、試してみる?紅茶もどう?みたいにご馳走してくれました。私は有難くご馳走になり、心の底から美味しくワッフルと紅茶をいただきました。この時が人生で一番流暢に英語を話せた瞬間でした。人間切羽詰まると能力が高まるものだ、と実感しました。
フィンランドのヘルシンキでは、「ザリガニ始めました」「名物」「今が旬です」といった看板に惹かれてレストランに入り、ザリガニを注文しました。出てきたのは10センチもない小さくて薄っぺらいザリガニ6匹、お値段5000円。しくじった!と思いつつ、飲み物の注文を取りに来たウェイターに水だけ頼むと、ザリガニにしゃぶりつきました。しかし、身はほとんどありません。あっという間に食べ終わり、追加の注文を取りに来られる前に、さっさとレストランを引き上げました。
傷ついた心を抱えてユースホステルに戻ると、強烈にお腹が痛くなってきました。私は5000円も払って、土曜日の夜で全員夜遊びに出払って誰もいないヘルシンキのユースホステルのドミトリーのベッドの下段に横たわり、上段のベッドの底板に各国語で書かれた落書きを眺めつつ、痛むお腹を押さえながらまんじりともせずに一夜を過ごすことになったのでした。今後どれだけお金持ちになっても、もうザリガニを食べることはないでしょう。
最後、パリに出てから、せっかくなのでフレンチでも、と思ってあちこち見て回りました。レストランの入り口にはメニューを書いた看板が掲げられています。その値段を見ると、いずれも手が出しにくい。それでも何かないかなと思ってうろうろしているうちに、ふと目に留まったお店が。
北アフリカ料理屋。クスクスがあります。値段もそれほどではありません。たしか1500円ぐらいでした。旧フランス植民地からの移民向けなのかな、これはこれでフランスっぽくていいかな、と思って入ってみました。出てきたのは、アフリカ人サイズなのでしょうか、ボウル一杯分はあろうかという大量のクスクス。しかし、肝心のソースがちょっとしかかかっていません。ソースに浸されないクスクスはボソボソのままです。私はボソボソのクスクスを水で流し込みながら、何とか完食しました。
この旅では、食に関しては縁がなかったようです。最近は、旅先で美味しそうなものを積極的に食べるようにしているのですが、この最初の旅の経験がそうさせているのかもしれません。
続く