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海外の旅

海外の旅の話 その38 濁流を渡る


2025.04.18海外の旅


久しぶりに東南アジアの空気を吸いたくなり、短い休みをとってベトナムのホーチミンに向かいました。その当時石垣島に住んでおり、乗継こそ那覇・台北と2回必要でしたが、距離的にはすぐそこにある感じがしていましたので、ちょっと足を延ばす気分で出かけました。

 

ホーチミンに着くと、石垣島の気候に身体が順応しつつあった私からしても、かなりの蒸し暑さです。安宿街近くでバスを下りた時点で、すでに大汗をかいています。あまり歩きたくないので、目に止まった宿で空室を確認し、チェックインします。部屋に入って荷物を降ろし、夕食をとるべく近所をぶらぶら歩き始めます。

 

と、ここで難題。大通りにも小さな通りにも、車やバイクが溢れかえっています。とくにバイク。一車線に3台ほど並走しているうえ、次から次へと走ってきて、流れが途切れません。濁流となって流れる川にしか見えません。また、大通りには歩行者用の信号機があるようですが、ちょっとした通りには歩行者用の信号機が見当たりません。

 

つまり、この濁流をうまいこと渡れ、ということです。実際、地元民は、車やバイクが来ているにもかかわらず、とくに慌てる様子もなく、すいすいと道を渡っていきます。車やバイクも、歩行者を気にかけているのかいないのか、停まることもなく、走り来て、走り去っていきます。

 

いや、こんなの無理、と思いましたが、この濁流の渡渉をしないではどこにも行けません。そこで、渡渉方法をマスターすべく、地元民の様子を観察することにしました。

 

どうやら、地元民は、走ってくるバイクに対して視線を投げ、ここにいるよ、とアピールしたうえで、バイクに歩行者をうまく避けてもらっているようです。もっとも、ベテランになると、とくにバイクを警戒することもなく、ただ静かにまっすぐに、ペースを乱さず歩き続け、そのまま向こう側に辿り着いているようにも見えます。

 

この静かな感じは、渋谷駅前のスクランブル交差点で、あらゆる方向から横断歩道を渡ってくる歩行者たちが、ぶつかることなくすれ違っている様を想起させました。東京育ちの私にとっては当たり前の風景が、外国人あるいは地方出身の日本人にとっては異質に映るようなものなのでしょう。それと同じことが、ここベトナムでも起きている、と考えると、恐怖は多少和らぎます。

 

歩行者とバイク・車との間で一種の秩序が形成されている、ということであれば、逆に、歩行者が下手に走ったりジグザグに歩いたり、秩序を乱した動きをすると、バイクや車の方で予測が狂い、衝突事故になりかねない、ということになります。

 

ある程度勝手がわかったので、恐る恐るではありますが、地元民にくっついて渡ってみました。なるほど、バイクが避けてくれます。心静かに、落ち着いて、と自分に言い聞かせながら、渡渉を繰り返します。そのうちに慣れてきました。慣れてくると、そんなに難しくありません。最終的には、片側4車線ぐらいの大通りでも、すいすい渡れるようになりました。

 

食事はいつものように屋台や市塲。ベトナム料理は辛くなく、野菜たっぷりで、何を食べても口に合います。ビールもよく冷えていて美味しいです。朝食にはフォーなどのあっさりした麺類をいただきます。あっさりした味ですが、テーブルに置いてあるトッピングの香草類をちぎって載せ、香辛料で味付けすると、華やかさが増します。身体に良さそうだし、何よりも安い。大満足です。

 

現地ツアーに参加して、ベトナム戦争の跡も辿りました。北ベトナム軍は、ホーチミン周辺にゲリラ戦用に無数に地下トンネルを張り巡らせました。クチトンネルはそのひとつで、一部ですが中に入ることができます。ものすごく狭く、実際に使用されていたときの兵士の辛さ、息苦しさが思いやられます。夜、ツアー参加者の他の日本人や外国人と、ツアーの感想や世界情勢に関する意見を交換し合ったのも、良い思い出です。

 

ホーチミンへの旅は短く、喧騒のなか屋台でご飯を食べていた、という記憶がほとんどですが、短い旅でもけっこう楽しめることを知ったのは、その後の旅のあり方に良い影響を与えてくれました。

 

 

続く

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